2013年3月6日水曜日

桜の実の熟する時 島崎藤村

岸本捨吉が恋する勝子を想い歩いた道。 なんとそこはボク自身のいつもの散歩道だった。 最近、九段の図書館に通うことが多い。 ボクは新見附から一口坂を登るが、120年前の藤村は牛込見附を登り、市ヶ谷壕の土手の松の樹陰を楽しんでいた。 相変わらず藤村を読み続けている。 そして今は「桜の実の熟する時」。 この小説では「新生」に至るまでの藤村の東京での書生生活が描かれている。 前半は白金の明治学院の寄宿舎と書生住まいの人形町の「田辺の家」。 後半は麹町の明治女学校での教師時代。 藤村は明治26年(22才)に勤めていた明治女学校を突然やめ、世話になった吉村家をも辞し、関西への旅に出る。 理由は教え子佐藤輔子を愛し苦しんだことにあるようだ。 と同時に、この頃の藤村はもっとも重要な彼自身の文学修行時代。 最も多感な時でもあった。 小説の「勝子」とは実在の佐藤輔子のことだろう。 居候していた浜町の「田辺の家」(吉村家)を出て、麹町に近い牛込に下宿する「捨吉」。 彼は毎日、牛込から現在の日テレ前にあった明治女学校に通っていた。 手元にあるのは島崎藤村全集ー5/筑摩書房、その p86に以下の文章がある。 「牛込の下宿から麹町の学校までは、歩いて通うには丁度好いほどの距離にあった。崩壊された見附の跡らしい古い石垣に沿うて、濠の土手に上に登ると、芝草の間に長く続いた小径が見出される。その小径は捨吉の好きな通路であった。そこには楽しい松の樹陰が多かった。小高い位置にある城郭の名残から濠を越して向こうに見える樹木の多い市谷の地勢の眺望は一層その通路を楽しくした。あわただしい春のあゆみは早や花より若葉へと急ぎつつある時だった。捨吉は眼前に望み見る若葉の世界をやがて自分の心の景色として眺めながら歩いて行くことも出来るような気がした。」 藤村の東京は面白い。 江戸から東京への変遷は「夜明け前に」に詳しく、「新生」「桜の実の熟する時」「柳橋スケッチ」等、短編も探せばまだまだ沢山ある。 読むたびに新しい発見ばかり。 そして。今日のように今現在の身近な都市風景に出くわすことになる。 当分、藤村の世界からは抜け出せない。

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