2013年3月10日日曜日

エル・グレコ展 

上野にある東京都美術館のエル・グレコ展に行く。 
手元の出品リストによれば、今回の展示はなんと51点、高さ3メートルを越す最晩年(1613年)の傑作「無原罪のお宿り」が会場の最後の一室を飾るという、全体はトレドを訪ねただけでは体験できない、まさにエル・グレコの世界を一望する画期的な展覧会。 
平日の朝一番の入場だが、当然の人気だろう30分もすると早、一つの作品に人溜まりが出来るほどの盛況だ。 
展示構成は分かりやすく4つに分かれていた。 
全生涯における肖像画を中心とした第一章、第二章は出身地クレタからヴェネツィアそしてスペインとエル・グレコ自身の画家としての変遷を説明しようとするもの。 
そして、第三章からはトレドでの宗教画作品、とくに第四章ではグレコは祭壇画の画家だけではなく、建築家として教会全体のプロデューサーでもあったことも示される。 
彼のデザインによるアプスを飾る祭壇衝立や教会のインテリアが写真展示で説明され、実物絵画と空間との関係を直接的に理解できるように展示されていた。 

今回の展示は有り難い、エル・グレコという人間に不案内であったボク自身に、様々な理解と新たな疑問を提示してくれる内容であったからだ。 
エル・グレコは単にマニエリスムを代表する画家と理解していた。 
しかし、時はまさにオペラの揺籃期、北イタリアのどこの宮廷もインテルメッツォが大人気。 
当時はもう教会の仕事より宮廷の方が実入りが良かったはず、クレタからヴェネツィアにやってきたエル・グレコ、生計を立ってるためにはパトロンのための肖像画、そして邸宅の家具ばかりかサロンでの舞台デザインも手がけたのだ。 

一章、二章の肖像画、それは貴族であろうが館の祭壇を飾る聖人であろうが、その絵画はみな額縁舞台(プロセニアムアーチ)の中の演技者のように様々な仕草表情を持ち、いまそこにいるかのように生き生きと画かれている。 
さらに、興味深いのはローマ時代の建築家ヴィトルヴィウスが書いた「建築十書」を克明に読み込んでいたことだ。 
展覧会で紹介されていた本はエル・グレコの愛用品で、同時代の建築家パラーディオのパトロンであったバルバロが編纂したもの。 
この書は16世紀のイタリアでは古代ローマそして14世紀以来の自然学、建築学、音楽を学ぶ人文主義者には不可欠なもの。 
クレタ出身の画家であるグレコが同時代の宮廷人と直接関わる為には決して手放すことは出来ない本であったろう。 
パラーディオは遅れてきたルネサンス人とボクは考えている。
 彼は建築書に従い懸命に100年前のルネサンス建築を作ったが、エル・グレコはむしろ同書に書き込まれた詞書きをみる限り、すでに古代ローマやルネサンスの秩序観・透視画法にはかなり批判的であった。 
グレコはヴィチェンツァにも居たことが解説されていたので、もしかするとこの街でパラーディオと面識があったかもしれないのだが、彼の生み出す絵画とその町を飾る建築家の仕事とは大きくかけ離れている。 

エル・グレコにとっては幾何学や規範よりミケランジェロに見られるような 、現実的、あるいはドラマティックな描写法のほうが重要だ。 
だからこそ、彼独特の演劇的肖像画や人体が波打つような祭壇画がやがて次々と生み出されたのだ。
さらに面白いのは彼の描く人物像は圧倒的に顔が小さいこと。 
どの絵画も縦長の画面の上部に光を当たるがごとく画かれている。 
画面の下部半分を占める衣類やマントは陰の中だが、見上げる上部はちょうど顔や頭部、そこはどこよりも明るく詳細に画かれ、表情豊かな顔が小さいが故にかえって見る人の視線を強く引きつける。

もう一つ、面白いことに気がついた。 
エル・グレコの祭壇画はほとんどが縦長、その比も1対3から4とかなり極端だ。 
その理由はグレコは現実と非現実を融合することが得意な画家、一般的に人体像は縦長にあるいは細身に描けば画ほど、その全体は非現実的あるいは霊的に表現できる。 
これは中世以来、キリスト教の祭壇画ではよく使われる手法だが、ボクにはもうひとつグレコ特有の大きな理由があると考えられる。 
それは、グレコが建築家であったことにも繋がるのだが、スペインの教会や礼拝堂の建築的特徴にあるのではないだろうか。 
我々がよく知るイタリアの聖堂の大半はロマネスクからルネサンスに引き継がれていて、その内観は上下という縦長より水平の視線が強調されている。
 他方、フランス、ドイツでは12世紀以降のいわゆるゴシック建築、聖堂全体が樹林のような細い柱が林立し、天にも届かせたい高い天井を支えている。 
スペインの聖堂はこのドイツに近いゴシック建築を、この時代になるとプロテスタントに対抗し教会を改装している。 
それはバロック美術の特徴だが、イタリアとスペインの視覚で見るバロックの違いはこの縦長空間にある。 

対抗宗教時代のトレドもまたローマと同様一般的な人々のカソリック的宗教心をいかに教会に引きつけて置くかに呻吟した。 
従って同時代の宗教絵画や音楽、建築は全てそのための道具と言って良いと思うが、その後のカラヴァッジョ同様、エル・グレコも誰にも分かりやすく、共感を引くドラマチックな絵画を画かなければならなかった。 
そして、その共感もスペインの人々は特に現実的救済をマリア様に委ねた、従って、今日、上野で体験した素晴らしい絵画はすべて表情豊かな美しいマリア様が圧倒的に多かった。

例によって日曜日の由なし事ゆえ、見学の付け足しとして、多少の悪口は許してもらおう。 
それはこの素晴らしい展覧会のことではない、好きではないこの美術館建築のことだ。
東京都美術館はかって大階段の上に大きな石の円柱が連なるギリシャ神殿風の建築だった。 
その美術館は小学生時代の校外社会科見学の格好の場所。 
自分自身の夏休みの課題の展示をや小学生にはいささか不向きな日展や院展という展覧会も先生に連れられ、子供時代の記憶としては何度も訪れた。 
神殿のような大階段に到着すると先生に怒られるのは覚悟の上、かならず仲間とみんなで思いっきり駆け上がった。 
それは小学生の眼にはヨーロッパを直接イメージさせる、まさに非日常的な晴れがましい体験だったから。 
そんな思い出が壊され、改築された現在の東京都美術館、実は完成後一度しか内覧していない。
建築を学び人並みの眼でこの建築を体験したとき、余りにもガッカリさせられたからだ。 
この美術館はどうにも息苦しい、それは思い出を壊されたからではなく、建築自体が不可解な迷路で作られた倉庫のよう 。 
しかし、今日のエル・グレコは見たかった。 
トレドもマドリッドも経験がなく、実際に見たグレコは大原美術館の 「受胎告知」 だけだったのだから。
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