2013年2月8日金曜日

塀の中のジュリアス・シーザー

これは面白い映画だ。 イタリアのタブアーニ兄弟の作品、昨年のベルリン国際の金熊賞、アカデミー外国映画賞、文句なしにお薦めだ。 歴史の中のシーザーではなく、シェークスピアの戯曲ジュリアス・シーザーを本物の監獄の中で本物の受刑者たちが演じていく。 タブアーニ兄弟は監獄の実際の舞台を見て、そのままの映画化を目論んだという。 従って、監督が演出しているのではなく、ドキュメンタリーとして映画を構成。 その構成にはストーリーは特になく、ジュリアス・シーザーの暗殺劇が戯曲通り時系列に従い、そのまま一幕から終幕へと映画は進行する。 そして、あの言葉の速射砲のようなシェークスピア劇がイタリアの監獄の中イタリア語(受刑者各々出身の都市ごとのバラバラな方言)で演じられる。 ドキュメンタリーだから、監獄内の受刑者俳優の練習シーンが写し取られているのだが、つまり、本物の殺人者が戯曲の中の殺人も演じるのだが、さすがにカメラワークと音と音楽は絶妙だ。 さらに、面白いのは、進行は戯曲に従うが、映像はモノクロとカラーの二通り。 日常の監獄内での練習シーンはモノクロ、わずかな監獄外のシーンと一般客が観劇する劇場シーンをカラーで画く、なんともその明解な対比が面白い。 ここまで書くと、どうやら、映画制作の意図を読んでしまっているようだ。 カラーでリアライズされる日常にではなく、モノクロで戯曲化された監房にのみ、本来の人間の「人間としての自由」がある。 つまり、虚構と現実、都市と田園、歴史と戯曲の対比で示すものがこの「映画」のメッセージ。 最後のシーン、これだけは演出だろうが、監房に戻った受刑者俳優のひとりに「芸術を知った時からこの監房は・・・・・」と呟かせる。

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