2012年12月15日土曜日

ピーター・クライムズ


ここのところお気に入りのオペラと言えば、シモン・ボッカネグラとオテロだが、今日、4年ぶりに「ピーター・グライムズ」を聴いて、改めて魅せられた。 初めて聴き、その音楽と内容の深さに圧倒され、一度は劇場で聴いてみたいと思い、この春、チケットを手に入れ待ちに待っていた。 初台の舞台は大拍手、大満足の3時間、なんと言っても音楽が素晴らしい。 オペラだから音楽なのは当たり前、しかし、器楽演奏は決して歌曲のための伴奏では終わらない。 このオペラでは歌手以上に雄弁。 このドラマの持つ意味深い低流に深く深くわけいっていく。 それはドラマの空間を生み出し、観客の心情を鼓舞する。 さらにその心情を代弁し、舞台上のドラマに観客自身が参加しているかのような体験を生み出して行く。 こんなオペラはほとんど経験ない、20世紀イギリスのベンジャミン・ブリテンの作曲、まさに、現代の魔術、最高傑作と言って良いのだろう。 すでにその間奏曲とパッサカリアは管弦楽曲としても有名、独立してコンサートホールでも演奏されるがやはりオペラの中の音楽だ。 その音楽は耳で聴く音楽ではない、意味にわけいる音楽。 ピーター・グライムズのドラマは意味深い、その心情はとてつもなく複雑だ。 孤立した男の児童虐待の物語ではなく、少年愛の物語でもない。 無慈悲な運命や社会の犠牲者の話でもなければ、孤立を愛する生きざまでもない。 舞台となる海の寒村オールドバラはブリテンの故郷でもあるようだが、神のいない海と陸、あるいは形骸化した神のもとの人間たち、個(=海)と集団(=陸あるいは村)をどう生きるかがテーマなのだ。 ドラマの中では海の寒村であるだけに、動物化した集団の持つ言葉が恐ろしい。 その武器となる「噂」が巧みに音楽化され、終始このオペラの通奏低音となっている。 もっとも、当のブリテン自身はこのオペラは単純なもので、「社会がより残忍になれば、人もまたより残忍になる」と語っているに過ぎない。 今日の初台に戻ろう。 例によって上階第一列中央、オペラグラスでの観劇だが、舞台構成は抜群だ。 二枚のスクリーン、その変化が生み出す光と情景、音楽同様、観客の心情を誘導する巧みな手法。 モノトーンに終始するドラマのづくりではライテイングこそ舞台の主役にちがいない。 演奏の話はすでにした、音の多彩さはボクの好み。 その表現も多様だが、決して突っ走らない、折り目正しい演奏にはこのオペラの主役である合唱と共に大拍手だ。 もちろん、演ずる歌手や少年にも拍手喝采。 しかし、高音が美しい主役のふたり、スチュアート・スケルトンとスーザン・グリットン、このオペラではもっと野性味がある方がボクの好みだ。
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