2012年12月26日水曜日

レ・ミゼラブル


新宿バルトで「レ・ミゼラブル」を観る。 場内は満員。 撮影時に歌部分の音声も現場取りしたという画期的ミュージカル映画。 しかし、かって帝劇で見た舞台、あるいは子供の頃読んだ「ああ、無情」のような感動がボクにはない。 点数は60点。 何故だろう? 隣りの人のキャラメルコーンの音と匂いばかり気になっていた。 音と音楽が満足できない。 地声で絶叫するだけでは、ストーリーが見えない。 クローズアップ多用の映像がリアルだけに、もっとリリックでヒューマンな物語であって欲しい。 Like0

2012年12月20日木曜日

李陵


李陵が面白い。 匈奴と戦った漢の武帝の時代の司馬遷、蘇武、李陵という3人の逸材の話だ。 中島敦の小説、青空文庫45ページ足らずだが、出来の良い映画1本しっかり見たという気分。 古くさい文体が紀元前一世紀の男臭さい武人にはピッタリ。

2012年12月15日土曜日

雨の日の温か散歩、加賀藩下屋敷と石神井川

師走の休日、15人ほどの建築仲間は午後0:30、JR板橋駅に集まった。 池袋から一駅だが、ボク自身ははじめて降りた駅、小さな改札口を出ると雨脚は強まってきた。 ここのところ天気予報は時間単位でもよく当たる。 時間通り集まった仲間たち、再会の挨拶もそこそこに年末飾りの提灯で埋められた駅前広場を通りぬけ、まずは近藤勇の墓を参る。 友人が準備した今日の街歩きメモ「北区に残る戦争遺跡を訪ね 地域遺産の保存と活用を考える」のトップに新選組の祭祀を目的とする最初期の供養塔として貴重とある。 今日のテーマは東京の城北地域の景観と歴史、その主役は加賀前田藩下屋敷と石神井川。 武蔵境で玉川上水から分水され開削された千川上水は城北地域の尾根を進み、板橋駅あたりから北は石神井川、南は妙正寺川へと流れていく。 今は暗渠のため見えないが、埼京線に並行し北に向かい、中山道(国道17号)を越えると程なく石神井川。 暗渠となった千川上水が石神井川に流れ込む放水口、その周辺がかっての加賀藩下屋敷の21万坪。 その後、明治新政府は3万坪の敷地に陸軍の西洋式火薬製造所や石神井川を動力とした火薬製造を行ったことから、この地には旧陸軍省の主要施設の幾つかが作られることになった。 はじめて歩いた石神井川、葉も落ちた桜の木の大木が並び、技術的処理で清流化した水にはマルマル太った鴨が群れていた。(旨そうな=笑い) 冷たい雨が降る初冬の街歩きだが、まだまだ知らない都心の景勝地。 それほど寒くはない午後の気の置けない仲間たちとの散歩は何とも楽しい。 夜間人口が最も高い地域の割には高層マンションはなく、その分、コンビニよりも小さな商店が軒並み健在。 戦争遺産の建物と環境も区民センターや東京一の図書館や公園に転用され、なんとも心豊かな半日。 街歩き後の忘年会のことを知らず、今日は家族との夕食の約束を守るため、ボクだけ友人たちと別れた。 十条駅で電車を待つと、これもまた時間通り、冷たい雨はピタリと止んでいた。

ピーター・クライムズ


ここのところお気に入りのオペラと言えば、シモン・ボッカネグラとオテロだが、今日、4年ぶりに「ピーター・グライムズ」を聴いて、改めて魅せられた。 初めて聴き、その音楽と内容の深さに圧倒され、一度は劇場で聴いてみたいと思い、この春、チケットを手に入れ待ちに待っていた。 初台の舞台は大拍手、大満足の3時間、なんと言っても音楽が素晴らしい。 オペラだから音楽なのは当たり前、しかし、器楽演奏は決して歌曲のための伴奏では終わらない。 このオペラでは歌手以上に雄弁。 このドラマの持つ意味深い低流に深く深くわけいっていく。 それはドラマの空間を生み出し、観客の心情を鼓舞する。 さらにその心情を代弁し、舞台上のドラマに観客自身が参加しているかのような体験を生み出して行く。 こんなオペラはほとんど経験ない、20世紀イギリスのベンジャミン・ブリテンの作曲、まさに、現代の魔術、最高傑作と言って良いのだろう。 すでにその間奏曲とパッサカリアは管弦楽曲としても有名、独立してコンサートホールでも演奏されるがやはりオペラの中の音楽だ。 その音楽は耳で聴く音楽ではない、意味にわけいる音楽。 ピーター・グライムズのドラマは意味深い、その心情はとてつもなく複雑だ。 孤立した男の児童虐待の物語ではなく、少年愛の物語でもない。 無慈悲な運命や社会の犠牲者の話でもなければ、孤立を愛する生きざまでもない。 舞台となる海の寒村オールドバラはブリテンの故郷でもあるようだが、神のいない海と陸、あるいは形骸化した神のもとの人間たち、個(=海)と集団(=陸あるいは村)をどう生きるかがテーマなのだ。 ドラマの中では海の寒村であるだけに、動物化した集団の持つ言葉が恐ろしい。 その武器となる「噂」が巧みに音楽化され、終始このオペラの通奏低音となっている。 もっとも、当のブリテン自身はこのオペラは単純なもので、「社会がより残忍になれば、人もまたより残忍になる」と語っているに過ぎない。 今日の初台に戻ろう。 例によって上階第一列中央、オペラグラスでの観劇だが、舞台構成は抜群だ。 二枚のスクリーン、その変化が生み出す光と情景、音楽同様、観客の心情を誘導する巧みな手法。 モノトーンに終始するドラマのづくりではライテイングこそ舞台の主役にちがいない。 演奏の話はすでにした、音の多彩さはボクの好み。 その表現も多様だが、決して突っ走らない、折り目正しい演奏にはこのオペラの主役である合唱と共に大拍手だ。 もちろん、演ずる歌手や少年にも拍手喝采。 しかし、高音が美しい主役のふたり、スチュアート・スケルトンとスーザン・グリットン、このオペラではもっと野性味がある方がボクの好みだ。