2012年11月12日月曜日

アイロンと朝の詩人 堀江敏幸


「雪あかり日記」と「せせらぎ日記」を書いた建築家谷口吉郎の建築作品、馬籠の「藤村記念堂」のことを作家堀江敏幸が「ほの明るさの記」と題したアンソロジーにまとめ「アイロンと朝の詩人」に載せている。 

建築は戦後まもない頃の貧しい寒村、その地の出身者のために、この地に住まう村人の手で、まるで中世の僧院を建てるがごとく建設されている。 美濃と木曾の境にある馬籠は藤村の誕生の地、美濃に生まれた堀江はこどもの頃、なに知ることなくこの建築に触れている。そしてその時の印象を以下のように書いている。 

「四角い敷地の一片だけに伸びた、かろうじて通路とは呼ぶことができてもそれ以上はどのような用途があるのかまことに曖昧な、小屋でも家でもないその空間が、ほんのちょっと怖かったのだ。気味が悪かった、と言ってもいい。どこへ通じているのか、わくわくすると同時に、足をすくませるなにかがそこにはあった。庭と呼びうる内側はあるのに、その表がない。閉じる装置はあるのに、まんなかがぼっこりと口を開けていてほの明るく、ほんとうの闇が降ってこない。それでいながら、なぜか本質的な暗さが偏在し、同時にその暗さを砕く明るさもあるといったぐあいなのだ。」「ほの明るさの記」からの引用。

 実は先々月の末、40年ぶりにこの建築を訪ねたので、その建築経験を一文の感想としてブログにしたいと思っていた。 
しかし、どうしてもこの「ほの明るさの記」が頭をよぎる。 当たり前といえば当たり前、若くして数々の文学賞を取っている名文家の力。 
しかし、建築の持つ面白さ、美しさはこのような想像力を掻き立てる文章でいつも読んでみたい思っている。 
さらにまた引用だが、堀江氏はこの建築について、いや建築の持つ本来の意味について以下のように書いている。 
「多くの評者が指摘するとおり、なにもなくなった地点から空間をたちあげて、建物ではなく「場」の形成をもくろむ試みとも解釈しうるものだった。」
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