2012年7月9日月曜日

皮膚/表象としての建築/ファシズム

今年の表象文化論学会賞を受賞した「イタリア・ファシズムの芸術政治」「都市の解剖」の著者鯖江秀樹さん、小沢京子さん、そして東大の田中純氏、京大の多賀茂氏によるパネル・ディスカッションの情報をネットで見つけ参加した。前書は1900年代初期、後書は1700年代中期の芸術と政治と文化をテーマとしたもの。ボク自身最近、興味を持っている近世イタリアのカプリッチョというべき芸術現象に言及した二人の著書はすでに買い求めていたことでもあり、この会の日時はしっかりメモっておいた。しかし、相変わらずの積読のままでは意味が無いのだが、表象文化論というこれまた聞き慣れない学会の存在も気になり、休日の午後、駒場キャンパスに出かけた。たまたま、グランドでは東大と九大のラグビーの試合。早く着いたので時間待ち、両校の熱い戦いを眺めていて気がついたらもう2時。あわてて会場である教室に入ると、小さな教室はほぼ満員。ここもすでに若い熱気に満ちていた。 ディスカスは田中氏と多賀氏が著作の内容に対し用意した質問をし、それに対し受賞者である若き二人が回答をするという形式。田中氏の質問は「イタリア・ファシズムの芸術政治」の「の」の意味するものは何か等、同時代の芸術/文化の根本に触れたもの。それはファシズムの運動から体制への変化という時期を美術・建築側としてどう捉えるか、というボク自身の関心と一致する。ファシズムをいかに拒否するかは学んだが、そのファシズムの中に近代建築は生まれてきたという事実、そして安易に拒否するのではなく克服すべきものは何か、つまり、芸術/政治、芸術政治をどう捉えるかと言う事柄に繋がっている。多賀氏の質問はユートピアと対立するフーコのいうヘテロトピアは18世紀の建築のカプリッチョとどう関わるかというもの。質問の記述はボクのメモ筆記、田中氏、多賀氏の本来の質問内容とは異なっていたかもしれない。さらに、この学会のポイントは「作品はいかに語られるか」であって、建築そのものに対する論や批評がテーマではない。加えて、鯖江氏の研究は主に絵画作品としての表象、小沢氏もピラネージ、ルドゥ、ルクーの紙上の建築が分析対象、従って二人の回答はボクが求めたい内容とはかけ離れているのは致しかたないこと。ともあれ、とても有意義だった。「建築以前の建築のディスクリプションの存在」「模倣をどう使うのか、古典主義美学と近代美学の違い」「文化財と野蛮」「建築と暴力」そして「皮膚としてのファシズム」等々メモ帳に沢山おみやげをいただいた2時間だった。
コメントを投稿