2012年7月7日土曜日

時雨の記  中里 恒子

渋谷で3時間半の長時間映画を観て帰宅、夕刊を見るとTVで「時雨の記」の放映。もういない友人だが昔、二人だけで飲んでいた時、彼は突然この映画の話をした。10年後、友人はこの世を去った。

そしてさらに10年、文庫は買っていたが本は読んでいなかった。たった今、この映画を見終わって、初めて気がついた。あの時何故、彼が突然「時雨の記」の話をしたのか。
そういえば彼は柔道が強かった。高校時代からともに京都が好きで、一緒によく嵯峨野・大原を歩き回った。
彼は「明月記」が好きだった。ボクは張り合って「山家集」だった。
大学時代、竹(尺八)を修行した彼は夏休みは南禅寺で合宿、建築に進んだボクは西ノ京・斑鳩・飛鳥を歩いていた。しかし、彼が何故あの時「時雨の記」だったのか。

あの頃、彼は・・・・・湖が望める山の一角に土地を買い、ここにセカンドハウス建てるから設計しろ、といった意味も氷解した。それはサイレント・キラーを恐れていたかもしれないが(彼も心臓が弱かった)、そのことでない。
彼にはうらやましい、美しい中学時代からの友達がいた。高校時代の文化祭ではよく一緒に遊んだが、彼女は体が弱く、病院に閉じこめられ、卒業と同時に二人は別れた。
ボクが知るのはそこまでだったが、彼女は元気になったのだろう。何も聞いていない。
そして彼はガンで死んだ。気が利かないボクは何も知らず、何も聞かないまま、セカンドハウスのスケッチだけが残っている。
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