2012年7月4日水曜日

モーツァルトの弦楽アンサンブル 


紀国坂の紀尾井ホール。カザルスホールなき後、ここは貴重な室内楽の殿堂。このホールがある限りボクの身体から音楽が消えることはない。外壕散歩コースの途中にあるこのホール、奏楽堂以上に近いこともあり、演奏会のあるなしに関わらず時々訪れる。しかし、外観はともかくインテリアは正直のところボクの好みではない。ホールの形状はハイドンのエステルハーザ以来のシューボックス。ウィーンの楽友協会がその象徴だが、そのスタイルは音楽だけでなく、洗練された社交が貴族のサロンから市民世界に広がるきざはしとなった形状。そのインテリアは繊細な弦の響きを隅々に浸透たせるためだけにあるのではなく、様々な形式を複合化させ、建築が語るオブリージが体現できるようにデザインされている。紀尾井ホールのインテリアはそのウィーンをそのまま移入しようと心がけようとしたものであることはよく判る、しかし、似てはいるが形式がない。木製の壁面、その凹凸は音を聞かせるのは最適かもしれないが、形が生み出すアンサンブルは理解不能な装飾ばかり、ボクにはノイズとしか見えないのだ。

今日のブログはインテリア批判が目的ではない、アンサンブルofトウキョウを楽しんだからだ。先日の芸大のチェンバーの教師クラスがこのアンサンブルのメンバー。プログラムはモーツァルトばかりという豪華版。なぜ豪華かというと、弦が四つにピアノ、クラリネット、オーボエ、ファゴット、ホルン、その独奏者による「弦楽四重奏17番kv458」「ピアノと管楽のための五重奏kv452」「クラリネット五重奏kv581」。ケッへル番号から判るようにモーツアルトの最盛期のハイドンセットと発達しつつあった管のみの絡まりで構成された実験的成果、そして、最晩年の五重奏曲。一度にこの三曲、この殿堂でのいいとこ取りのモーツァルトはなんとも贅沢。外は放射能汚染や政治・経済不安等々イヤなことばかりの時代だが、ホールの中はモーツアルトのアルカディア。一瞬の至福の時間を体現した後、真っ暗な外壕の木々の中を帰宅したが、200年あまり前のモーツアルトの時代はもっともっと大きな社会不安に見回れていたことを思い出した。