2012年6月2日土曜日

日の名残り カズオイシグロ

留守録しておいた「日の名残り」を観る。 知ってはいたが、いままで観るチャンスがなかった。 誰もが良かったという通り、本当に素晴らしい映画だ。 読んでから観る、というのがボクの習慣だが、この小説もまた映画化されていることを長らく知らなかった。 
昨年の「わたしを離さないで」も実はまだ観ていない。 この映画の面白さを話してくれた友人はカズオ・イシグロは前の「日の名残り」も良かったが、「わたしを離さないで」が好き、と話してくれた。 
そうか、「わたしを離さないで」はそんなに良いのか。 「日の名残り」も映画化されていたんだ、とその時ようやっと知った。 

何年前ことだろうか、「日の名残り」は出版当初、連載を担当していた建築雑誌(今は廃刊)のコラムに感想を載せさせていただいた。 そして、たった今、ビデオを観終り、掲載のコラムを読みビックリ。 なんだこの感想は、「日の名残り」が全然読めていなかったではないか。
 カズオ・イシグロは小説も良いが、映画も素晴らしい。 それが彼を良く知る友人の言だが、全くその通りだ。 早速、「わたしを離さないで」を読み、ビデオを探したいと思う。

 「日の名残り」は本の印象がそのまま、いあやそれ以上に詳細に映像化されている。 ある意味では言葉以上に映像が細かく語っている。 そう、観ていて判ったんだ「THE REMAINS OF THE DAY」の本当の意味が。 カズオ・イシグロ当然、「建築」を書きたかったのではない、描いたのは「人間」だ。
しかし、 「建築」は全てを知るが何も答えることはない。 「執事」もまた同じなんだ、答えるのではなく、理解すること。 「建築」は全てを記憶している。 「執事」もまた全てを記憶している。 カズオ・イシグロはその記憶を言葉に代えた。 そして「建築」でも「執事」でもなく、あの「中国人形」に語らせた。 
ラストのスティーブンスの瞳の奥は見逃せない。 飛び立つ鳩を追う、あの瞳の奥。

 以下は建築雑誌に掲載した「日の名残り」のコラム記事。
 A−イギリス・オックスフォードシャーにダーリントン・ホールという、大きなカントリーハウスがある。と言ってもこれは小説の中の話しなんだが。 
B−何ですか突然、小説の話しとは A−いや、カントリーハウスの建築については、様々な本があるが、そこでの生活については全く知らなかったと気づかされたんだ。 
B−カントリーハウスですか、映画では時々出てきますよね、礼儀作法が滅法厳しい慇懃な執事とか。 
A−ぼくが面白いと思ったのは、その役割なんだ。貴族の生活の場、自然をエンジョイする別荘という単純なものではない。一人の執事を中心として沢山の使用人たちによって維持される、一つの都市のようなものなんだ。国際的な政治交渉の場であり、秘密会談の場、事業の場、情報交換の場、そしてホテルであり、そこを訪れる人々、あるいは使用人として生活する人たちが様々な恋や人生を育む舞台のような場なんだ。建築写真や映画からは見えてこない、生きた世界がこの本には描かれている。 
B−カントリーハウスの生活とはどのようなものなのですか。 
A−大阪市立大学の福田晴虔氏の「パッラーディオ」(鹿島出版会)の中で、かれの建築を読み解く重要な鍵として「貴族の責務ーノブレス・オブリジェ」が挙げられている。この小説では1920年代のカントリーハウスが舞台だが、そこでの生活も、16世紀イタリアの同様、この責務が基盤となっている。責務を全うするダーリントン卿、執事職という役割から懸命に「主」の選択を信じ支えるミスター・スチーブンス。その役割は建築物同様あるいはそれと一体化し、ある種の品格を醸し出すものなのだ。
小説は一時代の役割を終えたダーリントン・ホールの執事が美しいコンウェール地方をドライブしながら、かっての「主」との生活を回顧する形になっているが、テーマは偉大なイギリスの風景、イギリス貴族、そして豪壮な邸宅を語り、それを支える人々の役割と生き様を描くことにあるようだ。「うねりながらどこまでもつづくイギリスの田園風景、大聖堂でも華やかな景観でもない、偉大な大地、表面的なドラマやアクションとは異なる美しさを持つ慎ましさと偉大さ、この偉大さこそ大きな屋敷に使える執事の目標となるものである」と主人公の執事、ミスター・スチーブンスは語る。 
B−「貴族の責務」ですか、それが建築にとって、どんな意味を持つのですか
A−住宅にしろ公共建築にしろ、建築である限り「主」がいるのが当然だ。しかし、その「主」は現代における施主とは些かニュアンスが異なり、どの時代でも、社会的、時代的責務に支えられた存在であったことが大事なんだ。その責務とは中世においては、日本も同様、宗教的精神の反映であったし、宗教改革以降のヨーロッパにおいては「貴族の責務」が基盤だったのだ。ダーリントン・ホールは執事共々アメリカの事業家を「主]として迎える、そして、ミスター・スチーブンスは新たな「責務」を持つアメリカ人を信じ、執事職を建築物と共に継続しようと決意するんだ。
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