2012年4月3日火曜日

演奏会形式のドン・ジョヴァンニ

震災に見舞われ 本公演が中止になり、練習の努力も報われなかったカヴァー歌手による演奏会「コジ・フアン・トッテ」を昨年5月鑑賞した。「凄い!」と感じさせる演奏を聴かせいただいたので、今年も特別企画「ドン・ジョヴァンニ」も大いなる楽しみ、早々にチケットを手にしておいたので今日、中劇場に出かけた。 

演奏会形式による「ドン・ジョヴァンニ」は難しいと考えていた。 モーツアルトのこのオペラ、人気演目であるからアリアの大半は全ての聴衆よくご存知。 その良く知られたアリアの数々をただただ独唱会のように聴かされたのではオペラ鑑賞とはほど遠いものとなってしまう。 
しかし、余計な危惧だった、今年もまた大満足。今月下旬の本公演の歌手たちもこのできばえにはそうとう煽られるに違いない。 
危惧の理由は「ドン・ジョヴァンニ」の面白さは登場人物個々の自己表現にあるからだ。 振りと衣装を着けた本公演なら、歌による「意味と感情」が表現不足でも、このオペラのポイント、登場人物個々のキャラクターは十分に理解できる。 
しかし、演奏会形式ではそうはいかない。歌手はみなキャラクターを的確に表現し、ドラマの内実に与えられた人間的役回りを面白く演じなければならない。  

「ドン・ジョヴァンニ」は喜劇的悲劇、いやそんなことはどうでも良い。 このオペラの面白さは「中世と近世」の狭間の人間模様にある。 ボクはこの中のドンナ・エルヴィーラが好き。 彼女は古い世界に生きながら近代人ドン・ジョヴァンニに恋をし、その恋から逃れられない狭間に生きる美しくも悲しい女性。 それをひ弱ではなく凛と描く演出が好きだ。 

今日はややノーマルだが佐藤康子のエルヴィーラを堪能した。 ドン・ジョヴァンニにはカソリック的道徳感は全くない。 騎士でありながら中世的ストイックな恋をせせら笑い、広くあまねく性愛(18世紀的な意味で)を求める。 しかし、いまやどこにでもいる近代人。
 だからこそ彼は地獄に堕ちる、そう、彼は近代人第一号、われわれには天国はない。 ボクの偏見だが、ドン・ジョヴァンニは実はレポレロでもある。(これも演出の問題、今日はボクの好み、毅然とした北川辰彦のレポレロには満足している) つまり、二人で一人の近代人、あなたも思い当たるでしょう、自分の中にドン・ジョヴァンニとレポレロの二人が生きていることを。 
地獄に堕ちるのが怖いならレポレロのように生きれば良い。 事実、近代人の大半はレポレロだ、そう地獄に落ちることはない。 ダ・ポンテとモーツアルトは何でも知っていた。

 ここまで書けばもう説明はいらない。 ドンナ・アンナとドン・オッターヴィアのお二人、モーツアルトが書いた歌を聴けば、彼らがどんなに窮屈な貴族的中世人かが良く判る。 
ダ・ポンテは相当の貴族嫌い、甘い口先だけで復讐どころか、喧嘩も出来ない騎士か貴族、ドン・オッターヴィアは18世紀の鼻つまみもの典型として書いている。 しかし、モーツアルトはしたたかだ、彼ら二人にもっとも長時間、浪々と宗教曲に似た美しいアリアを歌わせている。 
そして、ツェルリーナとマゼット、彼らの恋と歌は近代そのもの。 ツェルリーナのしたたかな歌と魅力があれば世界中の男、全てがだまされる。 レポレロようにひとりで旅をつづける人生より、ツェルリーナのような可愛い恋人を早く見つけ、浮気と痴話げんかに明け暮れる毎日の方が幸せだ。  

最初に触れたこのオペラの面白さであり難しさ、「意味と感情」のズレに触れておこう。 オペラはエンターテイメント、詩と音楽が相和し恋の喜びと悲しみを存分に語ってくれる。 しかし、それだけでは400年も続かない。 そこには隠された神には敵わない人間として悲劇、あるいは個々人の生き方の主張だけでは解決しない集団の中の人としての悲しみが描かれる。 

そしてオペラを観る楽しみだが、それは音楽と演出の問題、言葉としての意味と音楽としての感情がいつも一致しているとは限らないところにあるからだ。 言葉は強く逞しいが音楽(感情)がやけに悲しい、あるいは状況に連続する音楽は楽しいが、結構言葉は切羽詰まっている。 そんなズレを楽しむのが最近のボクのオペラ観。 その典型はヴェルディの「オテロ」にあると思うが、その話はまた別の機会として「ドン・ジョヴァンニ」にもその奔りが沢山ある。 

このオペラでボクが最も好きなアリアはドン・ジョヴァンニが歌う「窓辺においで」。 二幕の初めに唐突に挿入される、このオペラで最も美しいアリア。 主役なのに彼のアリアは短い3曲のみ。 その貴重なアリアもドンナ・エルヴィーラの小間使いを口説くマンドリンによるセレナーデ。 
しかし、何とも諧謔と韜晦そのもののシーンであり音楽だ。 ドン・ジョヴァンニのドンナ・エルヴィーラに対するレトリカルなデリカシー、それは案外スペイン人ドン・ジョヴァンニではなく、ヴェネツィア人カサノヴァのものかもしれない。 
この辺りはモーツアルトではなくダ・ポンテに聞くしかないが。 このアリアがこのオペラでは最も重要。 まさに中世のトロヴァトーレ(吟遊詩人)そのものではないか。 
そう、ドン・ジョヴァンニはヨーロッパ中を旅し恋を歌った中世の遍歴の騎士。 その騎士が近代の語り部として詩を歌い、その心を引き継いで行く。 このアリアは当然イタリア語、しかし、よく聴いてみて下さい、ボクの耳にはその後のシューベルトのドイツリートとして聴こえてきます。  
今日の演奏会形式の「ドン・ジョヴァンニ」はまさにボクの注文通りの演出、それも嬉しいことに国音の卒業生がレポレロ、ツェルリーナ、マゼットを歌ってくれました。 4月下旬は本公演、ますます楽しみです。
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