2012年4月27日金曜日

ユベール・ロベール展  

サンギーヌと呼ばれる赤チョークで描かれた古代ローマの廃墟のスケッチから始まるユベール・ロベール展は18世紀がまさに近世と近代の狭間にあることを実感させる。 
神話もコスモロジーも失われた同時代、アルカディアは風景に変わり、建築は本来の意味を失い、風景を飾る点景となった。 
つまり、ユベール・ロベールの時代の絵画そして建築はもはや集団的意味を担うものではなく、個人的な夢と希望に貢献する古代憧憬。 
ゲーテを含めアルプスの北の人々が訪れたアルカディア・イタリア、古代どころか16世紀の建築も廃墟として描いている。(ヴィラ・ジュリアやヴィラ・デステ) 
ピラネージやフラゴナールを師としたと言われるユベールだが、彼のイタリアでのスケッチは必ずしも忠実に目の前の情景を描いたわけではない。 
それはカプリッチョ(奇想画)あるいはヴェドゥーダ(風景画)と言われるもの。 
画家がイメージする空想の風景あるいは生活情景として描かれる。 
近世と近代の狭間だなと強く意識させるのはこのような作品。 
ユベール・ロベールのパトロンであったのは旧体制の貴族であろうが、彼らが必要とするものは権力維持や社会の秩序化を目的としたルネサンス絵画とは異なり、どこまでもパトロン個人あるいはユベール自身の個人的世界に関わっていく。 
それはどんなに多くの賛美や同調を得ようとも、絵画は欲望や憧憬のみに答えるもの、個人主義あるいはロマン主義の先駆けだ。
 展示は17世紀のクロード・ロマンから始まり、フランス革命を超え19世紀初めのジャック・ドリールの書「想像力」にまで及んでいる。 
面白かったのは西洋美術館が所有するピラネージのエッチングを数多く展示してくれたことと、ヴィンケルマンの古代美術史やルソーの「新エロイーズ」にも出会えてこと。
連休前の会場だが、修学旅行生たちの熱気で館内はかなり賑わっていた。 
しかし、ピラネージの「牢獄」を併設展示している地下室まで降りると、そこは展示物同様、閑散として冷ややか。 
たまたまだが、ここのところピラネージを読むことが多かったボクにとって、思いがけないプレゼント。 
時間が経つのも忘れ、終日コルビジェの建築内を徘徊した。
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