2012年4月14日土曜日

四谷・荒木町


小雨振る週末の午後、四谷荒木町を歩く会に参加した、主催は建築家協会新宿地域会。 市ヶ谷に住んで30年余り、知ってはいたが荒木町という花のある町を歩くことはほとんどなかった。 幸い、家協会の友人たちが誘ってくれたので、飲み会もかね、まずは歴史と文化そしてその独特の地形から生まれる町並みを体験する、ということで参加した。 山の手・下町と二分される東京の地形は、その凸凹に特徴があるが、江戸から発する主街道のすべては凸部分、つまり尾根に位置している。 当然、谷筋が街道防備の重要な役割を担うが、ここには御三家とその配下の大名が配された。 甲府は万が一の時の徳川家退避の場、甲府に通じる甲州街道の第一宿(内藤)新宿までの谷筋は東海道の大木戸以上の要衝の地。 従って、そこには尾張屋敷(今の防衛庁かっての陸軍省)と紀伊屋敷(迎賓館)が配され、その背後の四谷荒木谷には尾張一族の松平摂津の守(津の守交差点の由来)が街道を防備した。 摂津の守は土塁を築き水を満々と溜め万が一に備えたが、その名残が現在の「策が池」。 小雨に濡れる名物早咲きの「高遠の桜」はすでに葉ばかりだが、都心の池は今も健在。 マンションに囲まれた水たまりのような池だがそこにはコイが泳ぐ。 「江戸防備の役割を終え、やがて荒木町を都心の花柳界へと栄えさせた源の水」とコイが語っていた。(嘘) かっての「策が池」は景勝の地、その水際には茶屋に待合、料理やに芸妓(置屋)が集まり花街として栄え、さらに温泉まで作られ多くの東京市民、陸軍省の兵隊さんたちの遊興の地となった。 案内役は建築仲間だけではない、東京スリバチ学会の皆川さん、とんかつ鈴新の親方さらに新宿区の議員さん方が引き受けて下さり、なんと総勢70人を超える大集団。 グループに分けてとはいうが、案内役の方々のご苦労には感謝しなければいけない。 まだお店の明かりがない路地から路地を、小さな階段から階段を、まるで鰻の行列のように歩き回り、けっして風情を楽しむと言うものではないが、おかげさま、地形が生み出す町並み景観の面白さは充分に理解することができた。 皆川氏によるとここは東京の一級スリバチ、ということだそうだが、たしかに、最近のマンションの林立で、神楽坂のような和風の風情は消えてしまったが、その歴史と地形はけっして破壊はされていない。 小割りの家並は前後左右と上下様々に折り重なり、色もカタチもバラバラの建物の連続が醸すその景観は小道の変化とも相和し、いままで経験したことがない独特のもの。 スペインやポルトガル、イタリアとも異なる荒木町の多層迷路はたしか一級スリバチと言って良いのかもしれない。 路地に明かりがともる頃は残った仲間といつものように飲み会。 光楽亭をご用意いただき、花街の面影残す小間の座敷を楽む。 したがって、小雨とあかりの街歩きは今日はおわずけ。 戦後の建物開発で大半を失った東京の景観、しかし、歴史と文化と地形は健在、ほろ酔いながら、そんな実感がとてもうれしい。 とんかつやの鈴木さんとも仲良くなったし、遠からず通うことになるだろう。
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