2012年4月10日火曜日

「デスデモーナ」はマリア・ルイジア・ボルシ

オペラ・オテロを観た、オペラパレス。 
ヴェルディのオテロはボクのお気に入り、なんと言っても音楽が素晴らしい。
 台詞部分も含め全てが音楽として作られたこのオペラ、ワーグナーとは異なるメリハリのあるメロディーがシェークスピアの言葉を紡いで行く。 

様々なオペラをDVDで見るが、CDだけで楽しむことがあるのはこのオペラだけ。 ボクにとってオテロは耳だけでも良い、唯一のオペラ。 理由は簡単、オペラはいつも「言葉の意味と音楽の感情」を一致させて作られている訳ではないと気がついた時、ドラマの進行を音楽だけで追ってみようと思いついた。
 シュークスピアのオテロはもともと速射砲のような台詞劇、言葉の意味を細々と追うドラマではない。 言葉が気になるなら、英語劇を観るのが正解だ。 物語を簡言すれば「劣等感を持った男が劣等感を持った男にだまされる悲劇」。 
そもそもストーリーに大きな意味があるとは思えない。 オペラなんだから、愛し合う二人がただただ無惨に死んで行く哀しみを音楽で体験しよう。 だからこそヴェルディーは完璧な音楽をこのオペラにしこんだ。 

オペラ通の誰もが指摘されることだが、第一幕の冒頭のデスデモーナとオテロの重唱は何とも哀しい音楽。 
ドラマは戦地から無事戻り再会の喜びに浸るシーンのはずの音楽がどうしてそんなに哀しいのか。 
まぁ、冒頭ゆえ、ドラマ全体を暗示したシーンだからあのような音楽、と言うのが大方の説明。 確かに、舞台脇に表示される言葉の意味と音楽の流れはブレブレだ。 しかし、そのメロディーにはうっとりさせられる。 

好きなのは第二幕のイアーゴの一人芝居。 何とも憎々しい言葉の連続だが、しかし、ここの音楽もまた聴く耳を離させない。
 短調の調べに載るイヤーゴの歌声はいつも言葉の内容にかかわらず聴き入ってしまうが、この二幕は彼の独壇場の音楽シーン。

 そしてクライマックスの第四幕、「柳のうた」は大好きだ。 確かに詩の意味はデスデモーナの心情を十分に語るもの、しかし、ドラマの流れとは無関係な挿入歌。 
つまり、無関係であるからこそ、中国的イメージを含め最も美しい音楽をヴェルディは紡いでいる。 
付け加えればロッシーニの「柳のうた」もまた聴き逃せない。 Montserrat Caballé - Gioachino Rossini - Otello - Assisa a' piè d'un salice... と、まぁ、また余計なことを書きつらねたが、今晩のオペラも大満足。

 舞台はキプロスのはずが何故かヴェネツィア。 しかし、水の上に渡し板を組み合わせたそのイメージはデスデモーナとオテロの孤立した悲劇を語るには十分すぎる設え。
 歌い手の足下は不安定だが、歌そのものは水面の揺らぎや輝きとも重なって、素晴らしい音楽(感情)となり客席に響かせる。
 もっとも喜ばせてくれたのはデスデモーナ役のマリア・ルイジア・ボルシ。 彼女、急遽の代役だが、素晴らしかった、歌も雰囲気も仕草も演技も。 
弱音部分の中高音、ボクの席は例によって4階の最前列、オペラグラス片手の鑑賞だが、その歌声は哀しくもしみじみと深く浸透してくる。 
さらに好きなのはイアーゴ役のミカエル・ババジャニアン。 彼の首を傾げて歌うその内容は憎々しさを100%表現、しかし、歌そのものは言葉の意味を超え、終始そのメロディーの変化で酔わせてくれる。
 そうか、演出はマリオ・マルトーネだったのだ。東フィルのオケもよく響き、子どもたちの合唱も完璧、素晴らしい一夜です。http://youtu.be/cJtma6zU-2k
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