2012年4月30日月曜日

シュン・リーと詩人

年々人気が高まるゴールデンウイークのイタリア映画祭(有楽町朝日ホール)、チケットの手配が遅れ、観たいと思ったプログラムはすでに売り切れていた。 まだ間に合い、手に入れた「シュン・リーと詩人」を観る。 とてもおもしろい映画だ。 放映後、舞台に監督アンドレア・セグレ氏が登場した。 作品の印象から、もうちょっと年輩の監督かと思っていたが40代前半だろうか、いままでドキュメント映画を作っていたと言う。 彼はすでにこの作品でいくつかの賞を取っているが、イタリア・アカデミー賞の新人監督賞にもノミネートされている。 主役は中国人女優チャオ・タン、彼女も主演女優賞候補。 セグレ氏はシンプルで奥深い表現が可能な人、ということでシュン・リー役に彼女を選んだと言う。 映画はシュン・リーの物語、まさにシンプルな作品。 しかし、ボクには様々な問題と読み解きを許したとてつもなく奥深い作品に思えた。 セグレ氏は一言、西洋と東洋の出会いを描いた、と言っているが、グローバルな現代社会の叙事詩として作られている。 ヴェネツィアのラグーン、キオッジャの町、パラディーソと言う名の居酒屋が舞台。 年老いたベーピ(ラデ・シェルベッジア=助演男優賞候補)と年金生活者そしてラグーンの漁師仲間のたまり場だ。 パラディーソは最近、中国人がオーナーになった店。 8歳の息子と父親を中国に残し、シュン・リーはイタリアに移民しパラディーソに雇われる。 (セグレ氏はパラディーソは今でも本当にあると言う。キオッジャは彼の母のふるさと、かってその店には中国人女性が働いていたそうだ。) アクアアルタに見舞われるこのラグーンの小さな町もグローバリゼーションの最前線。 シュン・リーは福州の詩人屈原の詩を好む。 ベーピは30年前たった一人、ユーゴからこの町にやってきた異邦人。 詩人ではないが韻を踏んで話すので仲間たちから詩人と言われている。 そんなベーピとシュン・リーが心を通わす。 映画を観ながら、しきりとアントニオ・ネグリの言葉が思い出された。 「グローバリゼーションは古代のローマ帝国に似ている。」 パラディーソは帝国支配の辺境かもしれない。 いや、現代社会どこの町も辺境。 そんな妄想から、ボクにはこの物語が神話的叙事詩に思えてならない。 たどたどしい会話が優しく耳に響く。 日常的で曇天ばかり、観光では観ることがない静かなラグーン映像が目に残る。 その水辺にやがて放たれる赤い炎。 水に流れる屈原の祭りも赤い炎。 映像がフィードバックするとピアノとソプラノリコーダーの歌が始まる。 悲しくもないのに、なぜか涙がにじんだ。 叙事詩はベーピやシュン・リーだけではない、自分自身の物語でもあるからだろう。
コメントを投稿