2012年3月8日木曜日

ピナ・バウシュ踊り続けるいのち

20世紀末から21世紀、パフォーマンス・アートの分野ではダンスが一番人材豊富と聞いている。そうかも知れないと感じさせる今日の映画、「ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」を観る。「言葉では不可能なこともダンスは表現できる」とピナは言う。彼女の踊るシーンは数分だが、充分に満足のいく映画だ。言語以上に表現力のある身体、全編見終わればその力に圧倒される。赤外線用のメガネをかけての3D映像は初めて。確かに立体的だが、どれほどの効果があったかはボクには判定できない。しかし、立ち居も定かでない水面、騒音にさらされた都市の街路、風と砂塵が舞うが山の尾根、動き回るニュートラムの内と外、映像上の表現の場は当然スクリーンの中だが、そこは決して平滑な舞台ではなく、プロセニアムに仕切られた虚構でもない。そんなリアルな環境でのパフォマンスを実感させる為の装置と言うなら3D映像はわからないでもない。しかし、本当の関心はそんな所にはない。言葉が時と所を選ばす、いつでも何処でも表現可能であるとするならば、身体は制度や習慣にさえとらわれなければ、いつでも何処でもどころか、何でも可能な表現媒体ということではないだろうか。 この映画は前回見たフラメンコ・フラメンコとは大きく異なる。うまくは説明できないが、フラメンコをアノニマスな民家に例えればピナのダンスは建築だ。それも今風の似非建築ではなく、かなり本格的、古典的でさえある本物の建築。そう、感情だけでは想像力を喚起しない、ピナはダンスの詩人。その表現は決して衝動的感情ではなく、しっかりとした作為に満ちている。単なる衝動か作品か、ボクは音楽のパフォーマンスを含めいつもこの辺が気になるところだが、ピナのダンスは改めてアートとはなにかを教えてくれた。来週は「ピナ・バウシュ夢の教室」を見に行きたい。
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