2009年12月21日月曜日

立花から曳舟へ

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下町歩きの楽しみはノスタルジー。
しかし、それだけでない何かを、立花、京島、曳舟を歩いてみて実感した。
今日はそれを書いてみたい。
まず、旧中川の浅瀬に立ち寄った。
小さなカモメが立杭一本に一羽ずつ、午後の冬の日を浴び羽を休め、つらなる水辺の情景、こんな風景こそ、忙しさにあふれる都心にこそ、いつも日常的にあるべき景かもしれない。

少し歩くと護岸工事、クレーンが建ち、土砂の掘削のドリルとユンボが唸っている。
しかし、その傍らの岸辺の枯れたススキの薮の中では雀が無心に群れをなし啼いていた。
どんなに騒音にまみれていても聞こえるんですよね、小さな生命の営みの生の音が。

見上げると、銭湯の煙突が澄んだ冬空を突き破っている。
まだぁ、あるんだ、銭湯の煙突なんて。
そうだ、低エネルギー・低炭素時代にはこんな風景こそ欠かせない。
わが家の小さな風呂場では味わえない、全く新しく、安価で安らかなリゾートではないのだろうか。

次に立ち寄ったのは大正民家園と称する一軒家。
木戸の正面は護岸で水辺から隔てられ貧相だが、その木戸から続く庭先は敷石と手入れの良い植木に彩られ、個人住宅のもつ豊かなライフスタイルを描いている。
そうなんだ、入り口までの設えが、その家の住民の姿を表してしまう。
豪華な調度ではない、住まい手の生き様は住宅のアポローチに見えてくるのだ。
住宅の正面に立ってまた、ビックリ、平入の縁先は左右に二つの玄関、いや、二軒長屋ではない。
聴いてみると、右は農家、左は町家。
大正期のこの住宅は、この地で農業を営み、役所でも仕事する初期東京に生きる典型的な住民の住まい、つまり、日常的な町家玄関と農作業用の大きな土間入り口はどちらも不可欠だったのだ。
道理で内部を見ると、立派なケヤキの構造柱と、品のいい杉の造作。
建具や欄間も設えも川向こうの職人の仕事ということだが、文化財になった有名住宅の仕事に勝るとモ劣らない出来だ。
そうなんです、これが昔、東京で生まれ育つ人たちの当たり前の住処なのです。
農繁期や時節には手が離せないが、日常は役所の仕事をしながらでも自給自足、時には余剰生産物を農協に引き取ってもらい、毎日、質素だが、奥行きと節度があり、健康な生活を楽しんでいたのです。
専門的な言い方をさせていただくと、大正期とはいえ、この住宅は整形四つ間取りの典型的な農家平面。
しかし、土間が狭いと同時に、造作の趣味は完全に江戸期以降の町家のもの。
つまり、この住宅は90年前につくられたスローライフハウスであったのです。

立花大正民家園から中川を離れ曳舟に向かうことにした。
路地のようにうねる道筋の大半は小さな町工場の連続だ。
土曜日だというのに、モーター音を華々しく放ち、あまり体験のない機械油や金属の匂いに絡まれる。
しかし、ブロック塀に囲まれた均質な住宅群やマンションが林立する最近の住宅地の無音に比べ、ここはなんとも居心地が良い。
建物の一つ一つは全て間口が狭い、そのため、一足ごとに世界が変わってみえる。
その一つ一つは開け広げで心安く内部を開陳する。
覗くと黙々と作業しているおじさんたちがいる。
まるで、ドラマの中に入り込んだような気分だ。
決定的なのは、家々は小さいが、みな独立していて個性があること。
どの家々も安モルタルや板屋や鉄板という安普請だが、そこには聞こえてくるメロディがある。
今風の石や偽タイルで飾られた均一無音の連続ではなく、一軒一軒が異なる旋律で奏で相和す音楽が。
それは、高層マンションのこれ見よがしなボリュウムで決して発揮出来ない、本当の都市が生み出す人間の歌のようなもの。
歩き続けるとやがて駅に近く商店街の趣。
ここまでくると奏でられていたメロディは突然変調される。
つまり、音楽は続き雰囲気が変わるのだ。
間口が狭く、独立した小さな家々というメロディは連続し変わらない、
しかし、譜表は一段と高い。肉屋に魚や花屋に洋服屋に小間物屋そしてクリーニングやラーメン屋に日本そばとなんでもある。
コンビニやショッピングセンターでは聴くことができない多旋律のメロディ。
華々しく飾り立てているわけではない、人を呼ぶスピーカー音楽があるわけでもない。
黙々と人が集まり、店のおじさんやおばさん達のつぶやきが、街を形作る家々のメロディと協奏しなんか不思議な雑踏感を作り出しているのだ。

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