2012年2月24日金曜日

都市と家族とイタリア

イタリアは都市と家族、そのイデオロギーに支えられている、と考えている。 ダンテより100年後、ダ・ヴィンチより50年早い万能人アルベルティは15世紀半ばユニークな都市論(建築論)、家族論を書いている。 そんな彼はフィレンツェを追放された父親と亡命先ジェノヴァの寡婦ビアンカ・フィエスキとの間に生まれた次男。 しかし、アルベルティは若くして父と死別したため苦学し、家族も持たず都市を転々としている。 そういえば、先日観たヴェルディのシモン・ボッカネグラも都市と家族、その持続をテーマとした悲劇だ。 何故、いつもこのオペラがボクを惹き付けて止まないのかわかったような気がする。
オペラの中のシモンとフィエスコ、三幕での彼ら二人、バリトンとバスの重唱は圧巻だが、まさに二人は都市と家族を失いかねない悲劇を朗々と歌い上げる。 そして、面白いことに気がついた。 アルベルティの母ビアンカはフィエスコ家の寡婦と言うことだろうか。 調べてみなければ判らないが、ここまで来るともう一言いたくなる。 オペラを支えるのは音楽とドラマと劇場だ。 そしてイタリアの音楽とドラマと劇場を支えているのもまた都市と家族にほかならない。

2012年2月21日火曜日

グライドボーンの「愛の妙薬 」

底抜けに楽しいイタリアオペラは何かと聞かれたら、ボクはドニゼッティの「愛の妙薬」と答えるだろう。 イタリアに行けばオペラは限りなくさまざまだろう。 しかし、オペラ通ならともかく、ボクにとって「楽しいオペラ」と言えばロッシーニとドニゼッティ、ヴェルディの「ファルスタッフ」、それと昨年聴いたゴルドー二の戯曲をフェラーリがオペラ化した「イル・カンピエッロ」くらいしか見あたらない。

 そういえば、オペラを楽しむならドニゼッティかロッシーニ、そしてベルーニでしょうと教えてくれた人がいた。 今日はそんな、ドニゼッティーの「愛の妙薬」を堪能した。 恋に落ちた男は100パーセントみな、このオペラのネモリーノと同様喜劇的だ。
 しかし、ここで笑ってはいけない、男の愛とはいつもこのように一途で可愛いもの。 
そんな普遍的?な男の話しだが、このオペラのように最愛を得ることが出来る男は多分10パーセントに満たない。
 そして、また新たな恋へ、涙を拭い、男は喜劇的にさまよいつづける。
 結果的に悲しいのがいつも男の恋だが、このオペラは悲劇ではない。 なんとも羨ましいではないか、オペラのネモリーノは最愛のアディーナの愛を得ることに成功する。

 男たるものこのオペラが歌い上げるネモリーノの愛を見習わなければならない。 題名は「愛の妙薬」。 しかし、それは決していかさま薬売りリドゥルカマーラが売る惚れグスリのことではない。 「妙薬」は神話にあるクピドと同じ。
 射抜かれてくだけるのではなく、真なる恋人アディーナを射抜く「強さ」を持たなければならない。 いや、強さではないな、なんだろう。 
とまぁ、バカなことを言っているが、このオペラは傑作だ。
ボクにとってはシモンとは両端にある、大好きなオペラだ。 今日、大画面でこのオペラを楽しんだ。

 メディアは2009年グライドボーン音楽祭。 キャストは以下。 
【作曲】ドニゼッティ Gaetano Donizetti/
【指揮者】マウリツィオ・ベニーニ Maurizio Benini/
【演出】アナベル・アーデン Annabel Arden/
【出演者】エカテリーナ・シューリナ Ekaterina Siurina,/ピーター・オーティ Peter Auty  

このキャストリスト、ボクには初めての歌手ばかり。
そもそもグライドボーンの作品を見ることが少ないからだ。 しかし、この音楽祭の評判は良く知っている。 ただ、いつもモーツアルトかドイツものと思っていたが、今日は抜群に楽しいイタリアのベルカントの華「愛の妙薬」。
 主役脇役すべて歌手たち、みな素晴らしかったが、気がついてみると、イタリア人は一人もいなかったのでは無いか。 
舞台の雰囲気は原作のスペインでもなければイギリスでもない、どこかイタリアのイル・カンピエッロだろうが不思議な雰囲気。 
客席に平行ではなく45度に振った広場と建物、その構成は大胆で不思議を通り越し、多いに成功している。 沢山の登場人物が出たり入ったり、そして明かりがついたり消えたり、まさにイタリアの小広場が生き生きと浮かび上がっていた。
 さらに褒めるならば、字幕の対訳も楽しめた。 このオペラの楽しみはイタリア語と音楽の関係に違いない。 

イタリア語がわからないボクには致しかたないことだが、わかれば言葉と音楽のハーモニー、もっともっと楽しめたはずだ。
 しかし、対訳は緻密に音楽を追っている、また訳からも言葉と音楽は重なって聴こえる。 これはとても大事なこと、入念にこの映像を日本語化してくれているのが良くわかる。
 そして最も楽しかったのが、まさにこのオペラの華クピド役?、薬売りリカドゥルマーラ役の歌手の歌と演技だ。
 まだ調べきっていないのでこの歌手の名前は書けないが、彼の歌と演技にはただただ圧倒され、楽しまされた。
 ここのところオペラ三昧の毎日。 映画でもいい、こんなに楽しめるのならば。

2012年2月17日金曜日

ドミンゴの「シモン・ボッカネグラ 」

今日もまた、ドミンゴのシモン・ボッカネグラを観た。映画版・銀座ヒューマントラスト、2010年4月のラ・スカラ。
まだ、Youtubeにはアップされていない。 前回のメトより数段良かった。どこが、全部だ。バレンボイムのオケ、舞台、歌い手たち、観客、すべてだ。

ドミンゴはここのところラ・スカラ、ロイヤルオペラ、ウィーン、メトとシモンを歌い続けている。もともとボクはシモンが大好きだが今日のは最高。
この悲劇にはいつも泣かされる、しかし、今日のシモンを観て人間ヴェルディが少し判った気がする。 
 指揮 ダニエル・バレンボイム
演出 フェデリコ・ティエッツィ
出演 プラシド・ドミンゴ(シモン・ボッカネグラ)、フルッチョ・フルラネット(ヤーコポ・フィエスコ(アンドレーア・グリマルディ))、アニヤ・ハルテロス(マリア(アメーリア・グリマルディ))、ファビオ・サルトーリ(ガブリエーレ・アドルノ)、マッシモ・カヴァレッティ(パオロ・アルビアーニ)、エルネスト・パナリエッロ(ピエトロ)
オーケストラ ミラノ・スカラ座管弦楽団
作曲 ジュゼッペ・ヴェルディ (2010年4月29日上演/本編約150分)

2012年2月1日水曜日

リソルジメントから150年

昨年、東京では沢山のイベントがあった。 特に建築・美術系のイベントはほぼ皆勤したかの感がある。 ボクにとってはバロック以降のイタリアは、 オペラ作品以外は全くの不案内。 あらためてイタリアを考える良い機会だったから。  

15世紀以来、諸外国に翻弄され続けたイタリアの諸都市、 19世紀になりようやっと統一に向かう若者たち。 それはマッツィーニのGiovine Italliaの思想に象徴されるのであろうが、 あれだけの犠牲を払ってまでのイタリアの統一とは、 かれら、若者にとって一体なんだたんだろうか。  
日本の神風特攻隊の話し、それはかって、 「わだつみの声」として沢山読んだ。 しかし、いまいち判らないのが、 それがやはり「人間の生き方なのか」。  時代を生きるとはどういうことなのか。  

15世紀以降の混乱の中、 イタリアでは文学・建築・絵画・音楽・オペラ、 全ての文化分野が一斉に花開いていく。  
19世紀の混乱の中、 あるいは、はっきり言ってあれだけの犠牲の中、 多くのオペラ、音楽が生まれ世界中を魅了する。 そして、残されたのは建築と美術。  

21世紀の端っこに立ち、 相変わらず何も判らないまま、 ロマン主義について考えている。  
真に自由に生きるとはどういうことか? カタチを失った、あるいは共有世界を見失った我々は、 
 どんなカタチを探していたのか、
 どんなカタチを探しているのか?  

photoは去年のヴェネツィア映画祭で上映された、 マリオ・マットーネの作品から。 3時間半の超大作。 しかし、ミラノでは一日だけの試写だっというニュースを読んだ。 日本ではDVD以外に見るチャンスは無いだろう。  
イタリアを知るチャンスなのだが。 いや今の自分自身を考える、 チャンスかもしれないのだが。