2011年12月31日土曜日

エピダウロス劇場



ギリシャ劇場の有様を今に示す、もっとも美しい劇場がエピダウロス劇場(図版)。
ペロポネソス半島の東北部、アッテイカのアルゴリダ丘陵の内懐、松と夾竹桃の林の一角に現存する。
紀元前4世紀の建設とされるこの劇場をローマ時代の旅行記作家パウサニアスが訪れ、紀元2世紀に次のような記録を残した。
「エピダウロスの劇場は神殿の中にあって特に見るべき価値があると私には思える。たしかに、ローマ劇場の装飾は他の劇場よりも優れメガラポリスにあるアルカディアの劇場は規模の点において比類ない。しかし調和と美に関しては、ポリュクレイトスを凌ぐ建築家がどこにいるだろうか。なんといっても劇場とトロスの両方を建てたのはポリュクレイトスしかいないのである。」(岩波文庫:ギリシャ案内記)

ギリシャ最大の彫刻家ポリュクレイトスがエピダウロス劇場の建築家とみなしたのはローマ時代のパウサニウスの間違い。
この劇場が紀元前4世紀のものであることは考古学上の定説となり、ポリュクレイトスではなく、実際は彼の孫の小ポリュクレイトがこの劇場を建築している。
しかし、ポリュクレイトの孫の仕事とは言え、この劇場は美しく調和した形状を持ち、みどり豊かな景観に包まれ、二千年を経過した現在もまったく変わらない。

訪れたのは秋深い十一月。柔らかい午後の陽を樹林の間から受けながら、一人長い散策道を登り続けると、突然に開けた丘の上では、雲一つない青空に抱かれた整然とした花崗岩の段組が、美しい円形を描いて、頂きへと登り詰めていた。
収容人員一万四千人、直径約120mの大劇場は五十五段の階段状の座席に囲まれ、中央に直径約20mのオルケストラを持っている。観客席を形づくる、どの石の上に腰掛けてみても、その視線は全て、この円形のオルケストラにそそがれる。

ギリシャ劇場ではオルケストラこそ見られることの中心、しかし、ここは平坦ではあるが舞台ではない。オルケストラの周囲は白い石灰岩、円形の中央には小石が置かれている。この小石は祭壇の位置を示すもの。劇場は宗教建築の一つです。アテネのディオニュソス劇場、劇場は祝祭がその起源だが、ディオニュソス祭ではこのオルケストラの中心に神体が置かれていた。
オルケストラの背後はスケーネ(楽屋)。かってはその後にストアと呼ばれる集会所が建ち、現在のホワイエのような役割を持っていた。
アルゴリダ丘陵は医療の神アスクレピオスの聖域。ヘレニズム時代の医療センターとされるこの地のストアは、この劇場と他の領域を結ぶ、修道院の回廊のような役割も持っていたと言われている。


アポロンの愛人、フレギュアス王の娘コロニスはアポロンの子を宿していたが、人間に恋をしてしまったがため、その不敬を咎められアルテミスに殺されてしまう。
コロニスのお腹の中のアポロンの子は火葬の時、ヘルメスよって救出され、アスクレピオスと名付けられた。アスクレピオスはケンタウロスのキロン老人に育てられる。
キロンから薬草の知識を授けられた彼は、やがて成人し、死んでしまった人間をも生き返らせる力を持つことになる。
しかし、この人間の身分を越えた(自然の理法に背いた)アスクレピオスの力に父神ゼウスは大いに怒り、ついに雷火によって彼を焼き殺してしまう。アスクレピウスの父アポロンは息子の死を嘆き悲しみ、天上の神として位置付けた。
やがてアスクレピウスは医療の神として広く信仰され、各地に神殿や診療所を持つこととなった。
エピダウロスはアスクレピオスが生まれた場所でもあり、捨てられていた生まれたばかりの彼を山羊が乳で育て、牧犬が守ったという伝説の地でもある。

エピダウロスにはアスクレピオスの神殿ばかりでなくアフロディテの神殿、アルテミスの神殿など、堂々たる神殿が軒を連ね、種々の治療や患者を宿泊させるための宿泊所(クセノン)や浴場、スポーツジムの設備も設けられていた。つまりギリシャ最大の医療センターであったのだ。
絵画・彫刻で飾られた神殿から、アスクレピウスの助けを求める多くの病人や不具者の巡礼が、ひきもとらずにこの地を訪れたであろうことが理解できる。オルケストラとスケーネの僅かな間が現在でいう舞台ということになるが、このエピダウロスに立つ限り、ギリシャ劇場では舞台よりオルケストラが重要。

この劇場建設の百年前、ギリシャ最大の彫刻家ポリュクレイトスはアスクレピオスの神殿の直ぐ脇に円形の建築トロスを作った。碑銘記録はテュメレー、祭壇を意味する。その建築の直径はほぼ20m、劇場のオルケストラの直径と全く同じと記録されている。
トロスとエピダウロスの劇場、その結びつきの根拠の解明は、現在でも考古学的課題ではあるが、二人のポリュクレイトスは百年間という時間差を挟み、なんらかの呼応する関係を持つ二つの名建築をここエピダウロスに残したことは事実。パウサニアスが旅行記で書き間違えるのも十分に唸づける。