2023年1月8日日曜日

ヴェネツィアのレデントーレ教会


「・・・あの石の虚構を極限にまで押しすすめたような、レデントーレ教会のファサード・・・。これを設計した建築家パッラーディオは、もしかしたら、完璧なかたち以外に、人間の悲しみをいやすものはないと信じていたのではなかったか。 しかし、同時に、完璧な世界、すなわち、当時パッラーディオもふくめたこの島の知識人たちにもてはやされたユートピの思想さえ、虚構を守ってくれるはずの石を海底でひそかに浸食しつづける水のちからには、いつか敗退する運命にあるという意識が、どこかで彼らを脅かしていたからではなかったか」。 
 長い引用だが、この部分は須賀敦子さんの「時のかけらたち」。 パラーディオの建築は訪れる機会が度々あったが、しかし、彼女のヴェネツィアは美術書・建築書ではつかみきれない「マニエリスム」を「目から鱗」的に説明してくれている。

 

「地図のない道」ではそのヴェネツィアの広場と橋と島に的を絞って触れている。   そこは観光客はあまり関わらない、ユダヤ人のゲットとザッテレのデリ・インクラビリのこと。   特に引き込まれるのは、ジュディッカ運河をはさみデリ・インクラビリとレデントーレを対峙させ語っている部分。 
 デリ・インクラビリはかってのヴェネツィアの娼婦たちが病を得て不治のまま収容されていた施設があるところ。 須賀さんは書くべきこと、書かずにはいられないことのすべてをここに書き尽くしているように思えてならない。
  「・・・河岸に立つと、対岸のレデントーレ教会がほぼ真正面に望めた。私がヴェネツィアでもっとも愛している風景をまえにして、淡い、小さな泡のような安堵が、寒さにかじかんだ手足と朝から不安で硬くなった気持ちをいっぺんにほぐしてくれた。」  

 須賀さんのヴェネツィアは確か、愛するペッピーノを失ってからの体験がすべてであったはず。   
 そして、パッラーディオのレデントーレ教会、その対岸のデリ・インクラビリから、かっての不治の病の娼婦たちが毎日眺めたであろう理想世界。
 建築はやはり、いつの時代も多くの人が各々の物語を生み出す芸術なのだ。
 この「・・・いっぺんにほぐしてくれた」に触れ、彼女が残した著述の全貌と訪ね続けた人と建築への思いを強く実感した。