2011年6月6日月曜日

石岡、結城、真壁から常陸太田、常陸大宮へ

建築仲間とのドライブツァー、今年は茨城西部の街を訪ねた。 大津波と原発事故でニュースの紙面は覆われているが、今回の地震はまた建物にも大きな被害を与えている。 首都圏に住む我々、被災地の物見遊山は慎むべきとの声もあったが、 情報の共有により少しでも復興のお役に立つのであればとの思いもあり出かけることにした。 茨城の建築仲間は現在も被害調査を継続中、しかし、我々の訪問を快く受け入れてくださり、お忙しい中だが長時間ご案内いただいた。 訪れた街は石岡、結城、真壁、笠間、常陸太田、常陸大宮・・・ このリポートでは状況写真のアップは控えるが、どこの街も屋根に載る青いシートが痛々しい。 周辺に豊かな農山村を控え、江戸期に繁栄した中小産業都市が連なる筑波山周辺。 そこには大きな戦火をくぐり抜けてきた明治期の貴重な木造建築の数々が今なお健在だ。 造り酒屋や見世蔵、あるいは正面だけは洋風を真似た看板建築や店ごとギリシャ風に設えた時計屋や床屋さんなど。 みなそれぞれが、後々まで長く残しておきたい建築ばかりだが、その屋根あるいは壁面は大きく崩れ、傾き、壊されていた。 久慈川に沿い山林村を深く分け入ったある集落の一画、 酒造りと養蚕倉庫おぼしき木造建築群に出くわした。 かっては充分に手入れされていたと推測され、桃源郷のような趣を醸している屋敷周りに無断で立ち入り、 主屋らしき建物に向かって声を掛けると、一人の老女が庭先におりてきた。 彼女の許しを得て庭先の小道を分けいると、涼やかな風と清らかな水が流れ。 緑の囲まれた橋の周りからは何の鳥だろう、その鳴き声が水音に和し響き渡る。 庭先に戻ると老女がにこやかに声をかけてきた。 「どこからいらっしゃいました」 やわらかくやさしい小さな声。 言葉に訛りがなく、その抑揚から山里のイメージが消えていく。 彼女はゆっくりゆっくり話してくれた。 今は女性三人だけの屋敷であること。 大学生と高校生のお孫さんが時々遊びにきてくれること。 息子は大きな病院の院長を務めていたこと。 もうリタイヤしたが、ここには戻らず同じ地名だが県が異なる大きな街にいすんでいること。 曾爺さんは天狗党に参加、藩から蟄居を命ぜられたが、やがて許され様々な事業に勢を出し今の屋敷周りを建築したこと。 幸い、この屋敷周りには大震災の被害は見当たらない。 いや震災以前、すでに崩壊は進んでいるのだ。 中間山村の今は人も少ない。 残された建物は立派だが、人の気配がほとんど感じられない。 別れを告げると彼女はまた優しく笑った。