2010年11月4日木曜日

ウフィッツ美術館・自画像コレクション展


ウフィッツ美術館・自画像コレクション展(損保ジャパン東郷青児美術館14日まで)を観る。何年か前、東京芸大の卒業制作が自画像であり、明治以来の四年生の自画像4800枚をNHKが取材し特集番組として放送したことがあった。 絵画制作はもっともラディカルな表現行為だ。 その表現のためのテーマが「自己」だとは、なんと厳しい卒業制作かと驚いた,、 さらにまた、あまりにも明解、直裁なテーマ、全てが己、現実・想像、過去・未来。 表現者として立つことは、かくも過酷なことかと放送を見て感じた。 自画像は文字通り自分自身を描くこと。 自分を見つめ、自分を読み、自己の技術で、自分を描く。 そんな状況に立ち会ったことの無いボク自身、技術のなさは当然としても、 自分なら、自己をどう捉え、どう描き出したいか、しばらく考えてしまった。 「自分は何者なのか」を自分自身で答え、自分自身で表現しなければならない。 ボクには不可能だ。 フィレンツェの「ヴァザーリーの回廊」に展示されている多大なコレクションから選ばれた60点。 その1つ1つ作品は当然だが、一連の展示方法もまた興味深い内容。 全体は17世紀初頭から現代まで5室に分類されていて、群としての通時的な絵画史が読み取れる。 一方、1つの室に留まれば、そこは共時の中の様々な画家の姿。 表現の方法は異なるが、見えてくるのは彼らの生き方。 表現である以上、そこにはあるのは引用と韜晦、目一杯の修辞の結果が小さな額縁の中のキャンバスに閉じ込められている。 面白いと思ったのは19世紀、この時代は芸術は神、その所以は音楽だと思っていたが、それは間違い、かくも画家達が大事にされた時代だったのかと感心した。 見落としていけないのはティントレッタ・ベルニーニ・ハウフラーケン・アングル・ルッソロ・キリコ・タピエス・草間弥生、すべてボクが事前に知識を持つ有名画家たちばかりだが、展示された自画像からは全く予期しない彼らの言葉が聞こえてきた。
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