2010年11月14日日曜日

小都市の魅力「イル・カンピエッロ 」


舞台と演奏者は変わるが、連続して同じ出しものを鑑賞することは珍しい。 先週の東京室内劇場コンサートはたまたま二つのラ・ボエームを聴くというプログラムだった。  
どうやらボクのOpera趣味もかなりマニアックか? 誘われ時間があれば何でも聴くというのがボクの音楽スタイル、自主的な選択ではないからまだマニアックとは言えないとおもうが。 まぁ、そんな事はどうでもいい、共に研修中の若い歌手たちによるイル・カンピェッロ、どちらも充分に愉しませてくれた。 

 ポピュラーでは無いがこのOpera、ボクの好みであることは間違いない。 際立ったアリアも無ければ、主役もないイル・カンピェッロ、研修生公演の所以もこの辺りだろうが、結果として、時系列としてのドラマではなく、絵を観るように静止画のような音楽を楽しむというOpera鑑賞法にはピッタリな演目だ。 あそこがいい、あの人がいいに拘ってしまいがちなOperaの鑑賞、拘れば拘るほどある種の不満を引きずってしまう。 壮大な構築物であるOperaでは全てに完璧である事は目標ではあろうが不可能だ。 無責任かもしれないが、スカラ座もメトも奏楽堂もジーリオも変わりはしない。 違いがあるとすれば、時系列に表現されるシーンの出来と舞台構成、むしろどんな壮大なOpera でも、全体が一つの音楽的世界になっていないとしたらそれこそ興ざめだ。  

今日の演目のポイントは見終わった後の印象を一幅の絵画のように表現する事、そんな目的と成果が充分に果たされていたことが愉しかった理由だろう。 もっとも、今日のOperaとスカラ座を同じ平面で比較し、語る事はもとより無理な話だ。  
しかし、Operaの楽しみは時系列以上に一幅の静止画にあるという観点に立ち返れば、イタリアの小都市で繰り返し演奏されるOpera、その演目がボクたちにとってポピュラーであろうがなかろうが、いつでもどこでも楽しまれているという、本場のOpera事情は容易に理解できる事かもしれない。 

 残りはちょっとだけ感想を記しておこう。 あえて意味のない時系列で今回の二つのイル・カンピェッロを追ってみると、その出来は今日の方が優れていた。 決して奏楽堂が不満足だったわけではなく、今日の歌手と舞台の出来は先月より一段上だったということだろう。
コメントを投稿