2010年9月29日水曜日

パドヴァ紹介のイベント


昨晩(28日)のイタリア文化会館はパドヴァだった。 都市の紹介とコンサート、会場は満員。 イタリア大使も参加してのイベントの盛況は、 現在のイタリア人気そのものを象徴している。 イベントはスライドレクチャーから始まった。 イタリア人女性スタッフが懸命に説明する。 ブレンタ川と運河による水の都市パドヴァ。 15世紀以降はヴェネツィアの支配下に入るが、 古代ローマ以来の自治都市パドヴァは13・14世紀、多くの成果を生み出した。 ジォットのフレスコ画で有名なスクロヴェーニ礼拝堂。 ここはパドヴァの高利貸しスクロヴェーニ家の個人的な教会だが、 フィレンツェ以前、間違いなく中世から近世への橋渡しした名画の宝庫であることは有名です。 次の紹介はドナッテルロやガリレオのパドヴァ大学(イル・ボ)。 発祥はどうやら牛(イル・ボ)をアイコンにしたホテルらしい、 しかし、なんと言っても13世紀に誕生したウルベニスタ(自由)。 近代の学問はホテルからスタートした自由な思考であったことが面白い。 説明はまだまだ続く。 エレミターニ教会(1276年) パラッツォ.ラジョナーレ(1218年) イタリア最初の時計台 扉がなく誰でも自由参加のカフェ・ペドロッキ(1826年) サン・アントニオ大聖堂に植物園、そしてプラート・デッラ・ヴァッレ(広場) この日ボクの最大の関心はコルナーロのロジアと奏楽堂(16世紀)。 何年か前、訪れたこの都市だが、この建築だけは見ることが出来なかった。 この日、修復なったこの建築を舞台上の大画面スライドで初めて魅せていただいた。 ロジアには様々な物語があるが、昨晩は建築のための集まりではない。 このブログでも、今は残念、付け加えるものはなにもない。 ただ一つ、パッラーディオのヴィラも同じだろうが、 16世紀の農業社会と視覚分野のグロテスコとの関係。 パドヴァもまたヴェネツィアの陸の支配拠点であったはず。 いろいろ面白いテーマを抱えているに違いないとだけ、書いておこう。 後半はパドヴァに拠点を置く、日本人音楽家親子によるピアノトリオ。 演目は全てイタリア人作曲家。 ヴィヴァルディ、タルティーニ、ペンテ、c. ポリーニ(マウリッツォではない)にパガニーニ。 面白かったのはパガニーニのディヴェロプメント、「パドヴァの魅力」 なんと、今晩が日本初演だそうだ。 パドヴァ・トリオの主宰者佐々木一樹氏が最近発見された譜面だそうだ。 パドヴァではすでに出版されたらしいが、 コンサートで発表されるのは今晩が最初と言うこと。 曲想は柔らかくイタリア特有のメランコリーに支えられた美しいメロディーの連続。 僅か2楽章の小曲だが、ピアノとチェロとヴァイオリン、その対話劇は絶妙だ。 日本人とは言え、さすがこのトリオ、その遊び心はイタリア育ち。 アンコールはピアノトリオによるヴィヴァルディの四季から「夏」。 あの小刻みな弦の震えによる夏の印象、客席は気持ちのよい夏の終わりを実感した。

2010年9月22日水曜日

バルバラ・カポキン国際建築ビエンナーレ


21日の九段のイタリア文化会館は「バルバラ・カポキン国際建築ビエンナーレ」日本巡回展記念シンポジウム「地方から発信する建築」。 久しぶり、建築をテーマとした楽しいシンポジウム。 
イタリアのパドヴァを拠点とする国際建築ビエンナーレは2003年の「バルバラ・カポキン賞」からスタート、2007年からは建築賞、展示会、各種イベントがパラッツォ・デッラ・ラジオナーレを拠点として隔年で開かれている。 

当日の主宰者の説明では、過去430点の建築賞応募があり、日本からは66件もの応募、イタリアに次いで第二位の出品だそうだ。 
評価成績も素晴らしく、日本の建築家が4回の建築賞のうちグランプリを2回、他に住宅部門賞、商業建築賞を受賞している。 
当日のシンポジウムはその受賞者4名と賞の審査員の一人、隈研吾氏によるもの。
 
スライド説明の受賞作はみな、東京ではなく、地域で活躍する建築家の作品、住宅を中心とした小規模建築ばかり。 
そして、受賞された皆さん共通して、「賞をいただき、このことが自分自身の建築活動の’自信につながった」とおっしゃられたのが印象的。

 受賞作は大規模でもなければ、グローバルな提案ではない、しかし、どの作品も建築の原点である「建築の建つ場所」を懸命に読み取っての新鮮な提案。 
一極集中のグローバル東京にいるボクが最近忘れていた何かを、このシンポは確実に思い出させる貴重な内容だった。 

さらに、面白かったのは、隈氏の話。 日本の幕藩体制から明治維新を龍馬等人間像を透して読み取ることがよくあるが、同時代の地域像、その歴史と文化をよくよく眺めると、各々の地域が個々別々に独特の興味深い内容を持っていた。
この地域のかたちの違いはイタリア半島も全く同じ、という指摘。 
そして彼はシンポの終わりに全員に「今後、建築はどう変わるか」と問うた。
 
こんな難しい質問に対し、受賞者は短時間ながら真摯に答えた。 
話を要約すれば、環境やサステーナブルは当然だが、むしろ、グローバル・スタンダードでは届かない部分、それは決して反語としてのローカリズムと言うことではないのだが、どんなに小さい、弱い建築でも、その建築に秘められた「哲学」が問題となる。 
ボクも全く同感だ。