2010年8月24日火曜日

「ホフマン物語」のニクラウス

19世紀のワーグナー、ヴェルディのオペラに匹敵する作品と言われる、 オッフエンバックの「ホフマン物語」を観た。 メト・ライブビューイング、東劇。
名作とは言え、このオペラを全曲聴くチャンスは少ない。 喜歌劇で人気集めたオッフェンバックだが、今一、われわれには馴染みがないからだ。会場はいつものポピュラーなオペラに比べ空席がめだった。

3時間半に及ぶ「ホフマン物語」は、 自動人形、歌うことを止められたソプラノ歌手、高級娼婦という3人の女性に恋をする詩人の話。 舟歌でも知られるように、その全体は華々しく、かつ幻想的だが、 内容は19世紀の切実な芸術の問題がテーマとなっている。

プロローグと終幕、その間に3つの挿話が挟まれている額縁構成のオペラ、「ばらの騎士」に似ている。
情景も内容も多彩で複雑。 変化に富む場面と沢山の歌手たちによるアリアに重唱に合唱、 どの場面を切り取っても、魅力一杯の音楽と舞台に驚かされる。
しかし、全曲を通しての一貫した筋書きは恐ろしく単純。詩人ホフマンただ一人の心象世界が三時間に渡って描かれる。

複雑であり、単純な構成のオペラの中、ニクラウスはミューズとして全幕ホフマンに付き添い、悪魔の リンドルフはコッペリウスとミラクルとダンベルトットと役を変え、ホフマンの恋人を次々と消していく。幕が変わると同じ歌手が別人を演じるが、幻想的には同じ役柄を演じると言う複雑さ。 力量ある歌手でなければ、 多彩に演技し歌い分けることは至難と言えるオペラだ。

ニューヨーク・メトロポリタン劇場、世界中の名歌手を集めての公演だからこそ、 可能であったと考えられるのが今日のオペラ。 この鑑賞がよい切っ掛けとなり、 改めて「ホフマン」は他の公演と比べ聴いてみたいと思っている。
その理由はなんと言っても先に書いたこのオペラのテーマへの関心。 構成と内容、それは19世紀における「芸術とは何か」という事柄に触れている。

オッフェンバックは軽快なオペレッタだけの作曲家ではなかった。 17世紀のモンテヴェルディがオルフェオに音楽家である自身のテーマを託したように、 19世紀のオフェンバックは市民社会の芸術家とは何か、 自分自身は何者なのかを、このオペラで語ろうとしている。

ミューズが終始ホフマンに付き添うニクラウスであることから、彼はいつも芸術と共にあることが示される。恋の遍歴は芸術探しを意味している。そしてポイントは、 遍歴は全てホフマンが振られた3人の女性に象徴されるところだ。3人は実はたった1人の女性ステッラであり、ホフマン(詩人)を捨てた彼女(芸術)はリンドルフ(社会)と共に去り、幕が降りる。

17世紀のオルフェオも19世紀のホフマンも共にミューズから始まるところが面白い。
ミューズは詩歌の神、音楽の神、芸術の導き手。このオペラではホフマンは終始ミューズ(女装)であるニクラウス(男装)と共にあるところは見逃せない。
オルフェオのミューズは「音楽」であり「希望」に代わるが、ホフマンのミューズは「芸術」であり新しい「社会」を意味している。
終幕でニクラウス(詩神)はリンドルフ(社会)と共にホフマン(詩人)からステッラ(美)を奪った。全ての恋(芸術)を失ったホフマンはただ一人机に向かうのみとなる。