2010年7月14日水曜日

ナポリ、カポディモンテ美術館展 

ダヴィンチやラファエロ、ミケランジェロという優れた画家たちの登場で、 どんな複雑な題材に遭遇しても、いつも調和があり、目を惹く、 絵画を生み出すことがあたりまえとなった16世紀前半。 次に登場する画家たちは、さらにどんな工夫をこらしたのであろうか。
彼らは、もはや単純な調和ではなく、不自然でわかりにくい絵画であっても、 まずは多くの目を唸らせることに腐心したであろうことは充分に理解出来る。
さらに、絵の中にいろんな意志や特別な知識を潜ませることは、 中世以来のヨーロッパ絵画の常道だが、絵画を解釈するにあたって、 より高度の知識がなければ理解出来ないような作品を描くようになったということも、 また理解出来ることだ。
貴族が楽しんだ、16世紀絵画、いわゆるマニエリスム期絵画は、 もはやルネサンス絵画とは異なり、奇想と新趣向に富み、 高度な知的関心を持って鑑賞しなければ理解できないもの、と言える。

時代が進み16世紀末から17世紀以降の絵画作品。
それはカラヴァッジョたちが活躍したバロック時代のこと。
この時代のイタリアの画家たちが最も腐心したこと。
それはパレストリーナの音楽に明解に示されていることだが、 対抗宗教改革の目的に有効に機能する作品であることではなかったか。
知性豊かな貴族のためだけの作品ではなく、多くのローマの大衆にとって、 あるいはローマ以外の沢山のキリスト教信者にとって、新興プロテスタントとは異なる、 バチカンを中心としたカソリックの教えが、 直接的に、感覚的に充分に理解出来る作品であることが求められた。
そこでの作品を生み出す画家たちの格闘、 それは描き出したい伝説的な神話や物語の場面について、 もはや奇抜さを競うことでもなければ、 従来の見慣れた形式化された場面でもない。
画家たちの心に描かれる明確なビジョンを、 よりドラマチック場面として的確に表現することが求められていた。
バロックとは最初の近代画家たちの格闘の時代でもあった。
ルネサンス以降、多くの有名画家が沢山の作品を生み出したイタリアにあって、 このマニエリスムとバロックという二つの時代を理解することは容易ではない。

時代の異なる画家たちの取り組みの違いが少しでも見えて来ると、 今日の国立西洋美術館「カポディモンテ美術館展」はこよなく有効、 楽しい展覧会になってくる。
展示ルートの中間に素描展の一室を挟んで、マニエリスムとバロック、 作品はこの前・後半に明解に分離され展示されている。
この分離はもう一つ、この美術館の形成過程をも説明してくれる。
前半マニエリスム期の作品はローマ・ファルネーゼ宮殿でのコレクション。
後半バロック期はカラヴァッジョがやってきたナポリのカルロス3世の宮殿の作品。
会場はまだ開催間際で、平日は観客は少なく、ゆったりのんびりの鑑賞。

そして、なんと言っても前半の圧巻はこの美術館の珠玉の一品、 パルミジャニーノの「貴婦人の肖像」だった。
暗闇から、いま毅然と登場し、見るものに「無言」の言葉を発する、動き生きている屈指の美女。
彼女が貴婦人なのかコルテジア(高級娼婦)か、 美術史専門家間でも意見が割れているとの説明。
ボクにとっては、同時代を書いた多くの物語の中のコルテジアを全て想像させる、 まさに鋭く、強く、知的で気品ある女性の生の存在が実感される。
そこにある同時代に誘い込まれるような、強烈で誘惑的イメージが溜まらなく快楽なのだ。
後半の作品はカラヴァッジョではない、彼に影響を受けた画家たちの作品。

幾つか興味ある作品に触れたが、ひとつだけ挙げるならば、「ユディットとホロフエルネス」。
画家であるアルテミジアはカラヴァッジョやバロックの物語には、 必ず登場する、当時には珍しい女性画家。
その彼女の苦しみと環境をイメージするに、よくぞ描いたこの「ユディット」をと、 おもわず拍手喝采したくなる迫力とリアリティに、しばし留まらせ釘付けにされていた。
そして、面白かったのはヴァザーリとグレコ。
前者はやはり画家としてはこよなくへた糞。
後者は若き日の習作の小品。
しかし、グレコはこの淡彩な一作ですでに後の全作品にある天才ぶりを充分に発揮していた。