2010年5月28日金曜日

ロッシーニの「アルミーダ」

「METライブビューイン」、昨日(2010年5月27日)、久しぶりに東劇に出かけました。 ルネ・フレミングがタイトロールの「アルミーダ」メトの最新版だそうです。 このオペラは今回が初めてです。 CDでアルノンクールとバルトリの「アルミーダ」は聴いていました。 しかし、それはハイドンのもの。 今日はロッシーニです、劇場ではなく映画ですが。 実は映画が始まるまではメトでは珍しいというので、 ハイドンの「アルミーダ」だと思っていました。 上映が始まって、序曲から当然、音が違います。 そして、気がつきました、これはロッシーニだと。 本当はハイドンを聴いてみたい、いや観てみたいと思っています。 しかし、違ったとは言え、大好きなロッシーニです。 彼のオペラはどんな演目でも楽しいことは間違いなしですから。 事実、映画はフレミングを中心に華やかなオペラです。 特に2幕の魔女の宮殿のシーン。 そこでは文字通り、恍惚とした魔女の宮殿を、 ダンスと音楽によって、ふんだんに実感させてくれました。 実際の公演ではなく、映像画面からのこんな不満は不謹慎かもしれませんが、 チェチーリア・バルトリを聞き慣れているせいか、 フレミングは不満です、コロラツーラはお粗末でした。 しかし、魔女の魅力と三幕の気が狂わんばかりの恋情、 それは、フレミングならでは、男心には迫るものがありました。 ですが、ここはやはり映画ではなく、オペラなのです。 歌も表現もバルトリとどうしても比べてしまいます。 埒のないことですが。 こんなことを書いていて、さらに余計なことに気がつきました。 オペラの公演それも全盛期の歌手たちの歌声など、 生ではなかなか聴くことができません。 せいぜい、初台のオペラか、やっとこさの文化会館での体験だけです。 オペラの上演にはお金がかかります。 貴族がスポンサーだった大昔のヨーロッパとは異なります。 現在の大衆にとっては、とても支えきれない贅沢なエンターテイメントなのです。 好きだからといって、いつでもイタリアやアメリカに行き、オペラが楽しめる立場ではありません。 そんなボクにとっては、だからこそ、 この「METライブビューイン」は大いなる楽しみということになるのですが。 しかし、やはり、映画やCD・DVDだけで楽しむオペラ鑑賞は批評も出来ず問題ではないかと。 先週末、NHKの「20世紀の名演奏」のビデオを聴いていて、考えてしまいました。 そういえば最近、オペラどころかオーケストラの演奏もCDばかりです。 久しぶりのTVで観た「名演奏」はみな素晴らしかった、懐かしかった。 しかし、懐かしかったのは、そのほとんどを、かって、生で聴いていたからです。 音楽は演奏会場で聴くということが当たり前でした。 TVは聴いてきた感動の再体験、あるいは、聴き所の再確認にすぎませんでした。 今は、ほとんどの音楽受容をCDやDVDあるいは映画に委ねています。 確かに iTuneなら、何処にいても好きな曲をふんだんに聴くことができます。 しかし、「20世紀の名演奏」を聴いていて考えてしまったのは、 かっての感動との同体験は、最近はほとんど得られていないということです。 TVの「名演奏」は実体験が思い出されどれもこれも素晴らしかった。 ベームやチェリビダッケの演奏は古い映像とは言え唖然として聞き惚れていました。 現在では、演奏がつまらなくなったのかもしれません。 ワクワクさせるような、徹夜してでも絶対にチケットは手に入れたい演奏会、 最近は思いつきません。 クラシック音楽それもオーケストラに限定しての話ですが。 多分、常識的なプロモーターのプログラムにボクは飽きているのです。 もっと、演奏者が「これは聴いて」という演奏会が見つからないのです。 LP時代以上に簡便になったことは有り難いことです。 しかし、逆にチケットが簡単に手に入るからでしょうか、 沢山ある演奏会の広告はどれもこれも、おざなりの感じがしてしまいます。 余りにも便利すぎて、今のボクは音楽を聴く感動を忘れてしまったのかもしれない。

以下は「METライブビューイン」公式ページの「アルミーダ」の解説 指揮:リッカルド・フリッツァ 演出:メアリー・ジマーマン 出演:ルネ・フレミング(アルミーダ)、ローレンス・ブラウンリー(リナルド)、ブルース ・フォード(ゴッフレード)、ホセ・マヌエル・サパータ(ジェルナンド)

中世のエルサレム近く。十字軍の前にダマスカスの女王で魔女のアルミーダが現れ、「我が王冠を親族が狙っています。戦士をお与え下さい」と懇願する。しかしそれは偽りの言であり、彼女の真の狙いは愛するリナルドを手元に置くことにある。十字軍の次の指揮官にリナルドが指名されると騎士ジェルナンドが憤慨、アリア〈耐えはしない〉を歌う。彼は愛し合うリナルドとアルミーダを嘲笑、リナルドは決闘でジェルナンドを斃(たお)す。騎士たちはリナルドを責め、アルミーダは「上手くいった!」とほくそ笑む。場面が変わり魔法の園になる。逃れてきたアルミーダとリナルドは甘美な二重唱を歌い、続いてアルミーダが超絶技巧を駆使して大アリア〈愛の甘き帝国に〉を歌い上げる。しかし、愛に溺れるリナルドの前に騎士ウバルドとカルロが現れ、彼を説得して三人で逃亡する(テノールの三重唱〈一つになって戦おう〉)。アルミーダは魔力を使ってリナルドの後を追う。【岸純信(オペラ研究家)】

コンサートホール事始め


ヨーロッパ社会で音楽が広く演奏されていたのは宮殿や宮廷でした。
舞踏室、客間、サロン、広間、適当な広ささえあれば、音楽はどこでも演奏されている。
演奏は演奏される部屋の大きさに合わせ、演奏スタイルと曲目を選定し、時には演奏場所の反響に応じ、伴奏楽器の数やテンポまでも調整することで、宮殿や宮廷、さまざまな場所が演奏会場となっていた。

17世紀イギリスは共和制の時代。
革命により貴族的な劇場が閉鎖され、国王の音楽も王制とともに廃止されていた。
音楽家たちは生活するための庇護を中産階級の人々に求めなければなりらない。
そして生まれたのが公共コンサートです。
その最初の場所はロンドン近郊の居酒屋であったと記録されている。

ロジャー・ノースの「音楽の覚え書き」(1728年)によれば「セント・ポール大聖堂路地裏で、小型のオルガンが置いてあるのをフィリップなにがしが演奏し、店の主や職人頭が毎週より合ってはいっしょに歌ったり聞いたり、ビールやタバコを楽しんだりして楽しみました。やがて居酒屋の聴衆の数が次第に多くなっていきました」。
別のある居酒屋では、音楽のために部屋を一つ別にし、ミュージック・ハウスと呼ばれるようになり、大繁盛している。
やがて、居酒屋貸席の演奏会がずいぶん儲かるものだと知られると、こんどは音楽家自身が事業家になることもあり、次々と連続演奏会が開かれ、専用のミュージック・ルームも建てられるようになり、コンサートは益々隆盛して行った。(コンサートの隆盛のために音楽家自身が演奏会のプロモーターだった、ということはとても興味深い)


ロンドン大火の傷もいえ、レン(イギリスの有名な建築家)による新しいセント・ポール大聖堂の建設が始まった年、1675年、ストランドの西端、テムズ川のほとりのヨーク主教の旧邸跡に最初の公共コンサートホール、ヨーク・ビルディングスが誕生する。
「音楽会が開かれたのは大きな部屋で・・・音楽会場にふさわしい飾り付けがほどこされ・・・大勢の人がやってきて、混雑していた」。
ヨーク・ビルディングスのミュージック・ルームは大好評、やがてコヴェント・ガーデンにも同じようなミュージック・ルームが建てられることになる。
コヴェント・ガーデンのミュージックホールは絵の競売場にも使われたことから競売すなわちヴェンデと呼ばれ人気を博した。
そのヴェンデよりもさらに人気になったのがヒックフォーズ・ルーム。
ジョン・ヒックフォードは1697年、ダンス学校兼用のコンサート・ルームを開いた。
このビックフォーズこそ今あるコンサートホール原点かもしれない。

1738年には、手狭になったヒックフォーズ・ルームがジョンの息子によって引っ越し移転される。
そこはピカデリーにほど近いブルワー・ストリート。
このコンサートホールはヒックフォーズ・グレートと名を変え、当時のロンドンの流行の最先端の場となった。
奥行き15.2m、間口9.1m、高さ6.7m、天井は折りあげ、部屋の一端はステージ、それと向かい合ったドアーの上には桟敷席も設けられていた。
ヒックフォーズ・グレート名は音楽史の別の視点からも有名。
1764年、ロンドン滞在中の9歳のモーツアルトが姉のナンネルと一緒に演奏会を開いたのはここ、ヒックフォーズ・グレートだった。

2010年5月3日月曜日

ガウディ・オペラ

優れた建築は、見る人に感覚的喜びだけではなく、想像的な楽しみを与えてくれます。
建築家は形態の持つ動的役割や美しさを追求するばかりか、建築に象徴的意味を付加させ、物語の世界に入り込む楽しさを生み出しているからです。
建築に物語のような意味を与えること、それはヨーロッパではファインアート同様、建築を作る為の当然の方法です。
建築が発することば(詩文)は抽象的、しかし、具体的な象徴的形態を建築に込めることで、建築は初めて誰でも解る(散文)建築に変わるのです。
安全で便利、快適な装置であるばかりでなく、建築は意味あるいはメッセージを伝達する媒体、それがヨーロッパの建築、architectureなのです。
建築デザインの方法が変わる19世紀末、アントニオ・ガウディは近代建築の方法だけではなく、ヨーロッパの建築が本来持つ役割、メディアとしての建築をもつくり続けようとした貴重な建築家です。


ヨーロッパ社会にあって建築と音楽は一体的なもの、あるいは同じ方法を持って生み出されるもの、と考えられていました。
中世、音楽を生み出すものは数学、建築もまた数学をアルゴリズムとする芸術です。
その端的な例は11世紀のクリュニー修道院、その教会堂の建築家はグンゾです。
彼はまた同時代、音楽家として最も名を為した人でもあります。
つまり、修道院の音楽と建築は同じ人によって作られていました。
さらにまた、ルネサンスの祝祭のプロデューサーはすべて建築家であったことは広く知られています。
ダヴィンチ、ジュリオ.ロマーノ、ベルニーニ、彼らは視覚分野の天才であるばかりでなく、彼らの時代、むしろ音楽家あるいは総合芸術家としても重用されていました。

近代のフランク・ロイド・ライトとル・コルビジエ。
ライトは「音楽と建築の違いは素材の本性とその使用法にすぎない」と言っています。コルは「建築は空間のシンフォニー」と語っているのです。
そして「建築の価値はその空間に音楽性があるかどうかだ」と語ったのはガウディ。
彼もまた音楽に強い関心を示す建築家であり、建築本来の方法であった象徴としての意味あるいは物語性を基とした建築を作ることに一際熱心でありました。


象徴性と音楽性に満ちたガウディ建築を読み解く糸口は音楽家リヒャルト・ワーグナーにあります。
ワーグナーのオペラ、バルセロナのガウディは絶えずリセウ劇場に通い、その意味と役割を十分に理解していました。
音楽における近代の象徴的表現という観点ではワーグナーは無視出来ません。
ワーグナー・オペラの特徴は、歌曲と台詞が交互に繰り返されるオペラの形式を変え、
詩と音楽を密接に結びつけ、音楽的に切れ目がなく連続させたところにあります。
その音楽は文学的であり視覚的、舞台の中では全てが一体化され総合化されています。
結果、ワーグナーはモーツアルトに示される日常の一駒としての人間賛歌ではなく、
神話や伝説の中の自然と人間、その生と死のドラマを壮大なスケールを持って描くことができたのです。

若い頃からグレゴリア聖歌を愛し、音楽への関心も高かったガウディ、ワーグナーのオペラに圧倒されていました。
そしてガウディは建築をワーグナーの総合芸術との関連から追求しています。
ガウディの建築の中で最もオペラ的である作品、それはグエル公園とサグラダファミリアです。
前者はユートピアをテーマとした三幕構成の喜歌劇、後者はオペラ以前の壮大な宗教劇です。
その二つのオペラの背景はギリシャ以来のカタロニアとバルセロナ、ちょっと詳しく見てみたいと思います。


グエル公園は、訪れる人が門に到着すると幕が開きます。
第一幕は破砕タイルに彩られたカタロニア神話。
おとぎ話の中の家と階段を飾る蛇とドラゴンと蜥蜴。
それはギリシャの神ヘラクレスからオレンジを守るカタロニアのユートピア、ヘスペリデスの動物たちです。

第二幕はマーケット広場と遊歩道。
田園都市の一部として計画されたこの公園は、山裾にある地形を有効利用するために等高線に沿って高さを三等分して作られました。
その中段部分は山から掘り出された岩を積みあげただけの高架遊歩道とドリス円柱の林立するマーケット広場です。
緩やかに連なるごつごつした石の柱と壁による不整形なトンネルヴォールト。
半人工的な遊歩道全体は前史の巨大生物の胎内か、あるいは自然に穿かれたドラゴンの住む洞窟のように作られています。
つまり第二幕では、未分化で生命感溢れるおどろおどしいメロディが、ギリシャ風の人間的世界へと変奏されていくのです。

第三幕は地中海の陽光を一杯に浴びる空中広場、ギリシャ劇場です。
この広場からの正面には中世ゴシックの大聖堂とサグラダ・ファミリア教会が強いリズムを刻み、大都市バルセロナの息づかいを伝えています。
それは古代ギリシャの劇場が神々を象徴する大自然の息づかいを背景として建築されたのと全く同じ情景です。
周辺では色鮮やかな破砕タイルのベンチの一つ一つが聖母マリアに祈りの歌声を捧げています。
うねうねと続くそのベンチの連なりは、歌声の旋律を通奏しているかのように感じられます。
後方を振り返ると蛇行する道がさらに上方へ、天空へと続いています。
頂上はゴルゴダの丘。
この広場はまさに世界劇場なのです。
ここは間違いなく、古代・中世・近代を通底する神と人間の迎合の場所。
そして聖地であり世界の中心、天空の音楽が響くところ。
ガウディはそのようにイメージしていたに違いありません。


オペラ・サグラダファミリアはまだ未完成です。
しかし、そそり立つ八本の鐘塔はすでにその音楽を世界中に轟かせています。
「聴覚は信仰の感覚であり、視覚は栄光の感覚。栄光は神のヴィジョンであり、視覚は光の、空間の、造形の感覚である」と語るガウディ「聖堂は天と地を結ぶ場であると同時に視覚と聴覚が絡まり合い、壮大なメッセージを発するところ」と位置づけています。

繊維工業を中心とする産業革命を成功させ、いち早く近代都市開発にも着手したバルセロナですが、反面、急激に社会的秩序は乱れ、市民の宗教心も日毎、遠のいていました。
敬虔なカトリック信者、宗教書の店主ホセ・ボカベーリァはそんなバロセロナを嘆き、聖家族を範とする聖堂の建設を思い立ちました。
ボカベーリァの意を継いだガウディは、彼のメッセージを聖堂全体を通じバルセロナ中にいかに響かせるかに腐心しました。


以下はガウディの言葉です。
生誕の門は、八十四本の鐘が吊され、巨大なピアノになる。
受難の門はパイプオルガン。
栄光の門は…打楽器系の楽器にしようとしていたことが、生前につくられた模型などから推測できます。
…高さ100mを超す巨大な楽器による演奏を、聖堂本体が石の共鳴箱となって響かせる。
ガウディはワーグナーの最後のオペラ(楽劇)、「パルジファル」に習い鐘の音にこだわっていました。

「パルジファル」の中では遠くから響く鐘の音が汚れた聖杯城を救うパルジファル自身を象徴するもの、贖罪をテーマとした神聖祝祭劇(オペラ)のテーマはまさに鐘によって表現されています。
そそり立つ鐘塔には、やがてガウディが苦心した20メートルもの長さを持つパイプ状の鐘が何本も吊され、
贖罪の鐘がバロセロナ中に響き渡るに違いありません。


多分、完成すればその鐘の音はオペラ「パルジファル」を超えているでしょう。
ガウディは均一の音が一音で奏でられる従来の釣り鐘とは全く異なり、電気ハンマーによって連打されることで様々な音域、ハーモニーを奏でる鐘を考案しました。
そして風の通りよく穿れた多孔質な鐘塔の形は、そのまま音楽のための共鳴箱となっています。
つまり、サグラダファミリアの鐘塔は視覚的には神のビジョンを伝え、聴覚的には贖罪の音楽を奏でる巨大な音楽装置としてデザインされているのです。