2011年4月9日土曜日

ディオニュソス劇場



春どきにこそ、おおディオニュソス
汝の聖なる宮居にきたれ
エリスの市へ 恵み姫たちを供いて
牡牛の足もて 走りきたれ
気貴き牡牛 気貴き牡牛よ
(ディオニュソス祭の賛美歌)

ディオニュソスの祭礼は訪れたばかりの春に始まる。
松明の光に照らされた長い行列が祭神ディオニュッスの神像を劇場に運び込み、オルケストラに安置する。
ディオニュソスは牡牛そのものであることもある。
牡牛は神の原始的な化身です。
アテネの青年に付き添われた牡牛が神苑に入る。
森も野も花盛り、蜜蜂がうなり、小鳥がさえずり、仔羊が跳びはねる時、ダフネの恋が芽生え、ギリシャ中が目覚めるのです。

嵐のような冬が終わり春3月、爽やかな風と抜けるような青空、アテネの人々は日の出とともにアクロポリスの南麓、ディオニュソス劇場に集った。
豊壤の神ディオニュソスの大祭では悲劇の上演がメインイベントなっていた。
当時の上演は競演です。
オリンピック同様、競技会のような形式を持っています。
毎日一人の作家が三編の悲劇と1編の喜劇を、三日に渡り三人の作者の十二編が上演される。
競演は十人の審判員によって審査され、瓶の中に投じられた十票から任意の五票が抜き出され、順位が決定された。
判定そのものは偶然性によるのですから、審査そのものもゲームを楽しむお遊びのような雰囲気。
しかし、選ばれた作品の数々、そのリストは現在でも残されていて、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、アリストパーネスの幾多の作品が記録されている。
野外劇場は朝はやくから詰めかけた二万人近い観衆で一杯。
普段はあまり外に出ない若い女性たちにとって、劇場は公に男性たちと同席できる格好の機会。
隣邦からの外交使節や観光客はもちろん、子供たちや奴隷たちまで、アテネ中の人々は葡萄酒や無花果、オリーブの実をかじりながら、春の陽や風と共に演技の進行を楽しんだ。

ディオニュソス劇場は紀元前六世紀、アゴラ(広場)でのお祭りをアクロポリスの中腹に移したのが始まりと考えられている。
現在の劇場の場所は以前からディオニュソスに捧げられた地でもあったから、劇場建設にはもっとも意味のある場所でもあったのです。
劇場の形状はギリシャのアッティカで発掘されたトリコスに見られるように、当初は僅かな平坦の地を一様でない斜面が取り囲み、不整形な形状を持っていた。現在のように波紋のような形状に整形し、段状に構成したのは紀元前五世紀末のこと、そしてこの劇場以後、この形状がギリシャ劇場の原形となったのです。

参考/ギリシャ檸檬の森

http://lemonodaso.exblog.jp/8469935/