2010年4月8日木曜日

慈光院・法起寺・法輪寺


奈良のホテルは朝飯が大変だ。 宿泊客は京都・大阪という大都市に吸い取られ、奈良全体では、昔に比べ少なくなったそうだ。 その分、どこのホテルもツァー客で一杯。 今朝のレストランは大行列、とても入れそうもないので見学には早いが、街に出ることにした。 といっても、どこの寺院も見学は9時から、しかたがないぶらりぶらりだ。 奈良町は猿沢池と鷺池の間での南の地域と聞いている。 なんのことはない、昨日の高畑からの帰り、奈良公園に出なければ、そのままこの街をぶらついていたはず。 しかし、晴れた朝の街は気持ちよい。 まずは元興寺に行ってみた。 門は閉まっているので外から屋根を見学。 街中にしては寄せ棟の大きな本堂だ、もとは僧坊であったらしい。 奈良時代の建物を鎌倉時代、古材利用で大仏様で建て替えたとある。 次は十輪院、この界隈は寺ばかり、どれをどう見たら良いかさっぱりなので、 横町をまがり、連司格子の家々を眺め、寺の案内板と大きな屋根だけが頼りに歩き回った。 十輪院は鎌倉中期の建築らしいが残念ながら屋根が低い(?)のでよく見えない。 そして次は福智院、ここもまた鎌倉時代ということでよってみたが、門は当然閉じたまま。
大通りに出ると今朝もまた待っていたようにバスが来る。 ホテルの戻るとレストランはガラガラ、大急ぎで食事を、チェックアウトし、駅に向かった。 とんとんだがここに来てさぁ困った。 毎時33分が斑鳩行きのバスのはず、しかし、8時の次は10時、9時台はなし。 それはない、団体客の為に1時間ずらしはしたが、まさか、昼近くに法隆寺についてどうしようというのか。 これでは、昨日の薬師寺同様、観光ラッシュは免れない。 結局、近鉄で郡山に向かった。 今日はどうせ、法隆寺泊まり、見学は夕方だけでもいいではないか。 そう決めれば、話は早い、いや身体は早い。 10時には郡山城の桜のど真ん中に立っていた。 朝から良く晴れ、ここの桜も満開。 内堀を挟んで両側とも文字通り春を桜花している。 しかし、面白いところに行き着いた。 天守閣跡なのになにもない、桜は乏しく人はいない。 城は神社と近代の学校に乗っ取られ、ここの城跡はわずかな櫓と堀ということだろうか。 良く見ると柳沢文庫とある、立派な玄関だ。 天守閣ではないが、この建物こそこの城跡のシンボルだ。 知らなかったが柳沢家は吉保以降この城の主ではないか。 戦国時代以降、入れ替わり立ち替わりの城攻めの街、郡山は徳川家が五代将軍となりようやっと戦火も消え、 かの天下の側用人が城持ちとなり、この地に根を下ろしたのだ。 だからこそ、柳沢神社と柳沢文庫はまさにこの城の本丸、乗っ取られたなど街の人に聴こえたらお小言戴くこと間違いなし。 時間はあるんだ、立派な玄関で靴を脱ぎ、館内を見学させていただく。 展示資料を見て歩くが、ボクの関心は城下町の変遷。 城の外形は昔のままだ、その周辺を近鉄が走る。 しかし、町並みは今と昔、面影なし、全く異っている。 城とお堀と神社と文庫、これだけが昔に通低する残された道ということだろうか。 郡山バスセンターに戻ると、法隆寺行きのバスはともかく、慈光院までならすぐ来ると言う。 何年ぶりだろう慈光院、よって見よう。 この寺はかって本堂が完成したとき見学させていただいた。 友人がここの住職と親しかったからだ。
片桐石州斎が1663年、京都大徳寺から和尚を迎え建立したもの。 周辺は今や住宅地だが、郡山の街が一望出来る絶好の場所に建っている。 前回の拝観で寺や茶室の経緯、さらに、本堂普請の苦労話をいろいろ伺った。 記憶しているのは、建物の新築はすべて施主(旦那)次第とおはなし。 ここの住職は普請にあたって、木材から敷瓦、漆塗料に襖紙、 その調達はご自身で丁寧に吟味し、調達していた。 そして、選んだ職人たちと納得がゆくまで相談し、仕事を完成させている。 いまでは、考えられないことだが、これが従来からある日本人の普請方法。 まぁ、旦那仕事ということだが。 どんな建物をどのような形でどのような材料を使いどう普請するか。 それは工務店や職人、まして建築家の仕事ではなく、住まい手自分自身の仕事であったということなんだ。 素材や材料に対する関心は普請だけではない、ライフスタイルに関わるもの全てだ。 茶室や庭や精進料理の素材も、すべて自分の脚で集め、キープしておく。 その為の裏庭、資材置き場や倉庫、そこそこの家はどこもみな持っていたはず。 いい例は、何処でも良い、ちょっと古い寺や神社の縁の下を覗いてみると良い、 そこには、修理の為の古材、木材や瓦が沢山ストックされているはず。
チェックしていたおいた時間、バス停に戻ると、ようやっと法隆寺行きのバスが来た。 ここから法起寺はあっというま、家並が減り、田園に出たなと思ったら、もう着いた。 余りにあっけなかったので、三重塔を遠望するという楽しみは消化不良。 まぁ、もどればいいか。 この寺は国道脇だが周りは畑とため池。 しかし建立は606年、聖徳太子、斑鳩三塔の一つ、おおらかな塔は706年だ。 こんな案内を見ていると建築は凄いね、歴史の単位は100年、1000年。 今どきの住宅はたったの15年が平均寿命というから、現代建築はなんとも情けない。
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