2010年4月5日月曜日

浄瑠璃寺


久しぶり春の奈良を歩きたいと思い、1人で出かけることにした。
 まずは浄瑠璃寺。 
東京を8時前に経ち、近鉄奈良駅から路線バスで30分。 なんともスムーズ、昼前には浄瑠璃寺門前に着いた。 ここを訪れるのは三度目、しかし、前回からはなんとウン10年は経過している。 
最初の訪問で秘仏の吉祥天にお目にかかり、その色彩豊かな、 ふくよかで親しみやすい仏の姿に魅せられた。
毎回、奈良を訪れると、いつも思い出し、寄ってみたいとおもいつつ時間がない。 
二回目は大枚はたき、タクシーで出かけたが、残念、その時は、秘仏は厨子の中。 小さな華奢な扉は硬く閉じられていて、待たしておいたクルマで急ぎ奈良に戻り、東京に帰った。
 そして今回はフリーの旅。 公開日に合わせ、わざわざ出かけたのだから今回は間違いない。 

それほど拝観したい、と思っているのには理由がある。 
それはライフスタイルのリストラだ。 この3月、音大での講義を終えた。建築学生とは異なる、音楽デザイン学科での「建築」は建築の面白さ、そのデザインの持つ意味を探す旅(tag=odyssey)と位置付け講義を続けた。
そして、講義を終えた今、今度は身近なデザインの旅(tag=event)に関わろうと思っている。それは、意味あるものに身を置き、眺め、聴くことに心がけること。余計なことには煩わさず、不用なものに関わらない。そんなスタイルだ。
  
浄瑠璃寺は九体寺とも言われ、9体の阿弥陀仏が鎮座する西方浄土体現の寺。 
平安末期建立のこの寺は池を囲んだ寺域すべてが、ヨーロッパで言えば桃源郷(アルカディア)と言って良いようだ。 
静寂な池に小さなお堂を写し、仰ぎ見れば金色の三重塔。 しかし、訪れたこの日、残念ながら、塔は工事中。 そうか、今日は現世はお休み、全山極楽ということのようだ。

何故なら、この寺の池を囲んだ配置は変わっている。宇治の平等院は池の反対側から極楽を眺めるだけの構成だが、浄瑠璃寺は本堂と塔が池を挟み合い対峙している。
平等院の塔(墓)は寺域には配置されず、対岸におかれたのは小御堂と呼ばれる休憩所。浄瑠璃寺は九体の阿弥陀様と彩色美天女がおわす西は彼岸であり、美しき塔の建つ東は此岸という見立て。
つまり、この寺は眺めるのではなく、彼岸此岸を体現する寺域。そして、今日だけは此岸の塔がお休なのだから、全山極楽。塔を仰げなかったのは残念だが、我が身はすべて極楽にありと考えれば、
最もいい時間、いい空間に出くわせた、と言って良いのかもしれない。
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