2010年4月27日火曜日

祝の島 本橋成一


「祝の島」試写会を観る。 会場の中野ゼロは500人収容、ほぼ満員。 会はプロデューサー本橋氏のスタッフ紹介から始まった。 制作の中心となる3人の若い女性とサポートに回ったおじさんたち。 映画は国東半島に近い瀬戸内の離れ島でのドキュメント、山口県上関町祝島の人々の生活。 本土からちぎれたような小さな島は28年前、 フッと湧いた原子力発電所建設騒動に巻き込まれる。 今も昔も、人々は田圃を耕し、漁をし、髪を切り、パンを食べ、テレビを見、お祭りには神楽を楽しみ、歌を歌い、おしゃべりをする。 しかし、その生活は突然、二分される。 無味な呼び名だが原発推進派と反対派。 映画は建設に反対して来た人々の今の生活を刻々と写し取っている。 大半は老人、何人かは既に亡くなった父母の反対の意志を引き継いだ娘夫婦たち。 この映画は単なる原発反対派のドキュメントではない。 祝島の人たちの長い長い時間がテーマなのだ。 自分自身の祖父さんから引き継ぎ、自分の孫子に残して行くもの。 それは苦労して石を組んだ棚田であり、守り続けて来た豊饒の海。 全ての人が生きて行く術であり、術であったもの。 映画は一時の「開発」とか「原発」とは全く相容れない、長い時間を描いている。 過去から引き継ぎ現在に生きる全ての生活そして時間を描き、 これからも延々繰り返されるであろう島の生活、 長い長い未来の時間をも想像させる。 そんな時間を切断し、 人々の今ある生活を破談させる「外から開発」とは一体なんだろう???。 上映後の座談での話の一つ、「二分され、より辛い思いをしているのは、 映画には登場しない推進派という少数派の人々かもしれない。」 昔から何処の都市、何処の街でも繰り返されて来た「開発」、そして今後も続くであろう「外」からの介入。 沢山のダム開発、まだまだ繰り返される原子力発電所建設、 最近のブームとなった新空港建設、はては米軍基地建設。 その中身はきっと何処も同じにちがいない、 この映画はそこまで想像させる普遍性を持っている。 しかし、映画は決して、疑問を描いたわけでもなければ、解答を求めてもいない。 彼女たちはただひたすらに島の人々、その生活を描き続けた。 そのひたすらさが、逞しく、我々凡人の理屈にならない理屈を平然と乗り越えて行く。 これは若い女性三人による、強い強い映画と言っておこう。 http://web.me.com/polepoletimes/hourinoshima/top.html
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