2010年4月7日水曜日

唐招提寺

二条通まで下り、ロードサイドでボランティアのおじさんに教えてもらった、 餃子付き肉そばを注文する。 いやぁ、さすがだ、広い店内は一杯。 それも、通りかかりのドライバーはもちろん、 ご近所の老夫婦、それと、学齢前の子どもたちとそのお母さん集団。 黒いTシャツの若い店員がきびきび働く、その光景は間違いなく、 何処にでもあるファミレス・ラーメン店。 しかし、奈良から大阪に抜ける主要幹線道路とは言え、新旧入り交じった住宅地のど真ん中。 その客層のバラエティはさすが1000年の街、奈良だけの光景かもしれない。 二条通から住宅街を三条に降りる。 条間の距離は京都に比べれば半分ほどだろうか。 さらに尼ケ辻から古びた国道を進むと程なく唐招提寺右の道路看板。 天気もよくなり、奈良観光では外せない名所寺院の一つ。 秋篠川を渡ると、門前は観光バスのラッシュだった。 しかし、幸い、集団客は一気に引き上げる雰囲気、 ここはのんびりやり過ごそうと、門前の茶店に入る。
赤い毛氈を敷いた小さな式台と4人テーブルが一つ。 客はいないが、店番のおばあさんがTVを見ている。 毛氈に坐りわらび餅を注文すると、 おばあさんは、TVの内容が気になるらしいが、腰を上げ藍染めの暖簾の中に入って行った。 どうやら、このおばあさんだけが一人で賄っている店。 店番ではない、店のオーナー店長ということだ。 この季節のわらび餅だが、関西らしい、不規則だがもちもちの蕨の固まりに、 これでもかっと、おもうほど目一杯にきな粉がかかっている。 けっして、甘すぎず、口に入れると柔らかいが多少の歯ごたえ、 かすかな土臭い香りが広がってくる。 「この周辺もずいぶん家が建ちましたねぇ」 見ていたTVが若い人の歌番組に変わり、おばあさん手持ち無沙汰のようなので、声を掛けた。 「昔は田圃ばかりで、日照り続きの時は大変でしたよ。 でもここは秋篠川が整備され心配が無くなりましたなぁ。 秋篠川は郡山で佐保川と一緒になり、大和川に流れ込む私たちには大事な川。 しかし、整備された途端、今度は一気に田圃が無くなり、住宅ばかりなりましたなぁ。」 のんびり茶をすするボクに対し、急ぎ客ではないと知り、おばあさんは、いろいろ話してくれる。 「最初は、近鉄が通る線路むこうは全部田圃でした。 最初はなんとかいう小さな大阪の不動産屋さんがが土地を買ったんですわ。 気がつくと、小さな家がぎっしり。 そうしたら、今度は出来たばかりの用水から田圃に水が回らなくなり、 住宅の下水がどうのこうで難儀ばかりでしたな。 今じゃもうご覧の通り、この辺は住宅ばかりですよ。」
店を出て山門を覗くと、見学者がまばらになっていた。 雨も風も治まり、いつもの長閑な大和の古寺見物だ。 正面は整然とした金堂の佇み。 著名な文学者ではなくとも、両側の植え込みのパースペクティブに強調された、 大らかな屋根とそれを支える列柱のバランスには感嘆する。 これが古代8世紀、天平人のセンスなんですね。 この寺の特徴は立派な鮪を戴く屋根やふっくらとした大きな柱のゆったりとした柱間隔だけではなく、 その間の田の字形の白い小壁にある。 2段組み斗キョウを額縁とするこの小壁と屋根と柱、 この三つどもえのバランスがこの金堂の独特の風格を源となっている。 今回の奈良紀行でこの寺が外せないのは理由がある。 平安・鎌倉・江戸・明治と過去4回の大修理はともかくとして、 1995年の阪神大震災を経験して以来の、 2000年から10年間かかっての大修理がつい先日終わったばかりだからだ。 完成した金堂は大瓦が新しすぎ、ややウスペラな感じは免れないが、 これでまた100年、200年、周辺の田圃が住宅に変わったように、 住宅が無味乾燥なコンクリートのビル群に変わったとしても、 どこまでもこのバランスと風格を保ち続けるだろう。 もちろん、この寺の目玉は金堂だけではない。 金堂の後ろの講堂は平城京にあった東朝集殿を改装移築したもの。 柔らかな入母屋屋根の佇まいは、一目でこれは寺ではなく、宮廷だと気がつかせてくれる。 かの鑑真和上の像を拝観するのは御影堂。 ここには東山魁夷のふすま絵があるのだが、今日は残念、公開日ではない。 東京の博物館での記憶を頼りに、外からの一礼のみで引き上げた。
この寺の紹介はこのブログのテーマではない。 さらに関心ある人は次のリンクを。http://www.toshodaiji.jp/ ボクの関心は塔ということは再三書いた。 しかし、ここには立派な木造の塔はない。 代わりにと言ってはなんだが、木立に囲まれた境内の一画に面白い塔がある。 戒壇とその最上段の宝塔だ。 仏教教典や受戒の仕組みの知識は一切ないが、江戸時代に作られた、その造型には興味がそそられる。 簡素で粛然とした方形の石敷の床、その中央は三段の石組みの戒壇、そして白い球形の宝冠が毅然と載る。 この空間、雰囲気はなんだろう。 インドでもない、中国でもない、天平でも、日本でもない、つまり日常知る世界ではないのだ。 人間の理念だけの風景はかくも冷たく硬質。 雨に濡れ、晴れた光で見るこの宝塔、ボクに何を伝えようとしているのだろうか。
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