2011年4月18日月曜日

オペラと劇場を生み出す祝祭空間

「音楽と建築」の歴史は人類の誕生に始まる。どちらも共に生きる上に不可欠だからだ。音楽と建築は生活の飾りものではない。建築が無くても風雨をしのぐ洞窟があれば、音楽が無くとも音を発っする道具を手にすれば、人間は身を守り、生き延びることは可能であったであろう。しかし、想像力を持った人間が「人間として生きる」ためには、儀式あるいは祭祀は欠くことができない。人間は「音楽と建築」をメディアとして祭祀を掌ることで生きるべく方法を発見してきた。

音楽と建築は動物とは異なる人間が生きるためのメディア。儀式のために用意されたものが一本の柱だけ、演じられたものが完全八度という二音だけの歌声であっても、「動物とは異なる」生き方を問題とした時、人間は日常空間とは異なる別種の時間と空間 、特別な空間を必要とした。その特別な空間を祝祭空間と呼んでいる。

集団として生きる人間は祝祭空間を生みだし、弛緩した日常を活気づけ、荒れ狂う自然を静穏化し、やせ細った農地を若返らせてきた。祝祭空間は一時的なものだが、コミュニケーションや交歓の場としても集団で生きる人々にとっては不可欠だった。音楽と建築は日常空間を特別な空間に変容し、晴れやかな祝祭空間を生み出すメディア(媒体)としての役割りを果たして来た。

「私たちはいま、どこに住んでいるのか」という問は哲学的過ぎるかもしれない。しかし、人間が人間として、生きていく為には避けては通れない問題だ。私たちは目の前にある現実世界が、全ての人々が生きる唯一の世界と思いがちだが、その世界は個々人各々が別々に持つ異なるフィルターを通して眺めている世界に他ならない。その世界があなたと共に生きる「唯一共通する世界」であるという保証はどこにもない。物理科学の恩恵によって、太陽系の第三惑星・地球という丸い星の上に住んでいる、と安心しきっている現代人はともかく、昔の人々は共に生きる世界を実感したいと考えた。

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祝祭空間の最大の役割はこの「共に生きる唯一つの世界」の実感にある。生きのびるための知識や情報も重要だが、あなたと私は今どこにいるのか、どんな世界に住んでいるのか、そのことを明らかにしたい、と考えることは想像力を持った人間にとっては当然の事。集団として生きる人間は実在の世界ではなく想像世界に唯一の生きるべき世界を見いだしてきた。

その想像世界を世界観(コスモロジー)と呼んでいる。その世界を目に見えるものとし、実感できるものとしたのが祝祭空間。音楽と建築は「私たちの世界はこんなところ」という場としてデザインされたのが祝祭空間です。

どの文明の祝祭にはコミュニティの活性化と日常生活の解放が仕込まれている。日々の労働で疲弊した肉体と弛緩した精神の再活性化を計るのが大きな役割。さらに祝祭は、若者たちが明日を共にする伴侶と出会う貴重な場、集団で生きる人間が、人間として生きるための情報交換の場でもあった。長老たちが知る「狩りの方法と季節」、若者たちが新しく見つけた「漁の場所や時刻」、新旧様々な情報を伝達し交換する、それもまた祝祭空間。

人間は頭脳を持ち、生きる糧とそれを得るための情報、あるいは人間として生きていくための様々な知識をその中に収納している。しかし、その情報は仲間たちと共有してはじめて有効に機能する。人間はいつの時代も頭脳以外の外部記憶装置を必要としてきた。祝祭は生きるためには不可決な外部記憶装置でもあったのだ。

新旧の大事な情報を記憶し、いつでも自由に取り出すことができるアクセスフリーの情報空間。それもまた祝祭の大きな役割。祝祭は人間と人間、人間と世界(神)、人間とモノとが共存し、情報や意識、イメージが交換(歓)される人間にとって欠かすことのできないマルチメディア空間と言って良い。そして、その空間を生み出し、情報を蓄え、記憶し、伝達するメディア(媒体)となったのもまた音楽と建築。音楽と建築は世界のカタチ、世界模型を示す媒体であると同時に、アクセスフリーのマルチメディアな情報装置。その情報空間はやがて都市を生み出し、劇場を生み出し、オペラを生み出していく。

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