2010年4月18日日曜日

ノートル=ダム・ド・パリの音楽

ヴィクトル・ユーゴの「ノートル=ダム・ド・パリ」。
司教補佐はしばらく黙ってその巨大な建物をながめていましたが、
やがて溜息をひとつつくと、右手を、
テーブルにひろげてあった印刷書のほうへ伸ばし、左手を、
ノートル= ダム大聖堂のほうへ差し出して、
悲しげな目を書物から建物へ移しながら言います。
「ああ! これがあれを滅ぼすだろう」。

これとは印刷されたばかりの聖書であり、
あれとはノートル= ダム大聖堂です。
ユーゴは建築は書物と同様、
知識や文化を伝えるメディアであると言っているのです。
印刷術の普及により、情報媒体としての建築術の時代はまもなく終焉する、
と語りました。

中世の大聖堂の役割を印刷された聖書が担う、
事実15世紀以降、建築は情報媒体である役割を終焉させ、
社会の要請に従った機能的な空間構成への道を歩みます。

ノートルダム大聖堂は
パリ司教モーリス・ド・シェリーが1163年に旧来の諸堂を廃し着工し、1182年内陣が完成、
1196年モーリスの死後ユード・ド・シェリーが引継ぎ、
西正面は1200年頃、薔薇窓が1225年に完成します。
建築がメディアであった時代、
この大聖堂はどのようなメッセージを発信していたのでしょうか。
人生における誕生から臨終まで、
この建築は「人はいかに生きるか」を教えてくれるものであったと考えられます。
(19世紀末ユイスマンスは「大伽藍」を著し、シャルトル大聖堂の解読を小説化する)。

建築およびそこに施された一つ一つのアレゴリー化された装飾は、
この時代の集団として生きる人々の
現実的世界と個々人が生きる内面的・観念的世界を繋ぐものでもありました。
現実と観念という二つの世界を橋渡しする役割は音楽が最も得意としていた分野です。
この大聖堂の持つ巨大なプログラム、
それはゴシックという時代の精神世界ということでありましょうが、
そのプログラムは大聖堂と共に生まれたポリフォニー音楽によって支えられます。

天にも届くかと思われる塔と、
外から差し込むステンドグラスの光とによって華麗に装われたゴシック建築は、
その空間に見合う華麗な音楽空間を要求しました。
次第に雄大な姿を現してくる大聖堂の工事と並行するように、
様々なロマネスクの修道院の中で展開されてきたオルガヌムは、
2声楽曲から3声、4声楽曲へと広がってゆき、
やがて壮大なポリフォニーはこの新しい大空間いっぱいに鳴り響いていきました。 



(Perotinus/Sederunt principes + Notre Dame de Paris from vinteui1 on YouTube)