2010年2月5日金曜日

ヴェネツィア・オペラ

衰退したとはいえ地中海の交易権を保持していたヴェネツィアはイタリア半島で唯一、中世以来の共和国としての体面を保っていた都市。そのヴェネツィアが王侯貴族ではなし得ない新しいオペラの道を開いていくのは歴史的必然であった。
フィレンツェで生まれたばかりの「登場人物が歌いつつ演技する」という形式は、宴会に明け暮れたパルマやマントヴァという宮廷でこそ意味を持っていた。それはオペラは宮廷が生き残るための戦略装置でもあったからです。
しかし、君主を必要としない誇り高いヴェネツィア貴族にとっては「宴会のためのオペラ」は必要とされない。当然ながら、ヴェネツィアでのオペラは、フィレンツェやその他の宮廷でのオペラとはその性格を大きく換えなければならなかった。
オペラが宮廷の中の数ある余興の一つとしての役割しか持たなかったのなら、やがては消えてしまったかもしれない新しい音楽の形式が、決定的に変化するのは1630年代後半のこと。オペラはここヴェネツィアにおいて初めてビジネスとしての道を歩み始めることになるからです。

オペラの新しい道はヴェネツィアの公共商業劇場の開設によって始まる。
ヴェネツィアの貴族にとって、君主の館で演じられるようなオペラは必要なかったが、新しい音楽形式であるオペラそのものに対する関心は決して低いものではない。なぜなら、ヴェネツィアという都市そのものがすでにオペラ劇場であったからです。
カナル・グランデを行き来する大小の船やゴンドラは間違いなくオペラ劇場でアリアを歌う歌姫たちの舞台であり、その水の流れに軒を連ねるパラッツォのロジアの一つ一つは間違いなく後の時代の桟敷席そのものです。
マントヴァ時代の大きな話題であったオペラ「オルフェオ」の作曲家モンティヴェルディがサン・マルコの聖歌隊長となったこともヴェネツィアのオペラにとっては決定的なことと言って良い。マントヴァ宮廷を逃れ、念願の教会の聖職を得た彼は、その後はマントヴァ宮廷だけでなく、他の宮廷からの依頼に応じたくさんのオペラを書いている。




(Vivaldi - Gloria - 1 - Gloria in excelsis Deo - King's College Choir from margotlorena
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