2010年2月13日土曜日

ザンクト・ガレン修道院

中世ヨーロッパの人々が現実的世界から目を背けることなく、真摯に俗世と関われるようになったのは、修道院が各地に誕生したからだということのようです。
人々は聖なるをものを求める道を修道院にまかせ、俗人は俗世に生きるという道を徹底することが可能となったから、との説明です。
物理的のみならず精神的にも人が生きると言うことは、確かに、自分以外の自分をいつも持っていなければ落ち着かない、わかるような気がします。経験的に神を信じたことはありませんが。

7世紀のはじめ、アイルランドの聖ガルスがスイスの東北シャルナッハの渓谷に住み着き、多くの人々の祈りを集めて行きました。
やがて、そこは人々の心の安息所であるばかりかザンクト・ガレン修道院と呼ばれ、様々な中世文化の花を咲かせることとなります。
修道院は決して俗世と無縁であったわけではありません。
聖職者たちもまた土地所有者となり農民を抱え、国王とも交渉し政治にも関わります。
中世社会における修道院は祈祷の場であるばかりでなく、大学であり研究所、病院であり、農業開発センター、そして裁判所という役割を担っていました。

加えて重要なことなのですがザンクト・ガレンは9世紀以降の貴重な書物の図書館でもあったことです。多くの僧侶たちが写本の筆写に訪れた所、筆写に訪れるということはまた沢山の写本が集まる所でもあるからです。
そんなザンクトガレンであったから、理想都市としての修道院の平面図が残されています。
修道院は聖と俗がせめぎあう場でもあったのですから、人間の理念と現実はいつも明解である必要があります。

多くの写本を制作したザンクト・ガレンは絵画史の幕開けの場所でもあります。
そしてもっとも重要なことは、ヨーロッパ音楽の原点ともいえる記譜法成立の中心地、グレゴリオ聖歌に多声音(ポリフォニー)を持ち込む試みがなされたところです。
ポリフォニックな音の広がりはヨーロッパ独自のオーケストラの原点ですが、聖なるものを讃えるための音楽が、聖なるものを表現し、聖なる力を広める役割へと転化するのは、ここザンクト・ガレンにおいてです。

修道士たちは毎日毎日、夜明けから深夜に至るまで一日八回の聖務日課(定時化された勤行)とミサ典礼(最後の晩餐を再現した典礼)を行いました。
その内容は聖書朗読と祈り、そして聖歌ですが、歌を伴わない祈りはあり得ません、福音書朗読さえも、ある特定の音の高さを持って歌われるのです。
典礼のための福音書や聖歌集、それは聖具として神に捧げられたものですが、9世紀の写本の中に朗読する為の記号が書きこまれました。
ネウマという音符の登場です。
口頭伝承から楽譜記載による伝承へ、聖歌を統一化しようという動きが伝承形態を変化させ、やがて音楽そのものを大きく変える道を開くのです。

写本であっても聖具であることには変わりありません。
聖具に人為が関わることは許されないことですが、しかし記号の書き込みが許された聖歌集には、新たな歌詞や旋律の挿入も許されました。
トロープスと呼ばれる装飾部分です。
この挿入部分は作曲することの契機です。
神からの授かりものであった音楽が人間的行為の結果としての音楽となる経緯となるのがトロープスです。

ザンクト・ガレンの写本の中に記されたネウマとトロープス、それは楽譜の成立と作曲の誕生を促すものです。
ネウマとトロープスは単旋律の音の流れを幾条もの重なりをもった複雑な音楽に変えるばかりか、時間の経過とともに消えてしまう音楽では果たすことができなかった、全体を見渡し思考するという場をも音楽に与えたのです。
つまり音楽はここザンクト・ガレンで建築と同様、空間性を獲得したことにより、作曲という行為が認められ、後に数多くの音楽家・作曲家が誕生することとなるのです。




(Convent of St. Gall from UNESCOVideos on YouTube)