2010年2月8日月曜日

ヴェネツィアのモンテヴェルディ

1637年、ヴェネツィア貴族の一人、トローン家と計算高い市民は共同して既存のテアトロ・サン・カッシアーノを改造し、オペラ劇場として再建しました。

その最初の出し物はオペラ「アンドロメダ」。

海の神ポセイドンの怒りを鎮めるため、岩に鎖で繋がれ、海の怪物のなすがままになっていたアンドロメダをペルセウスが助け出すというギリシャ神話が題材です。

ローマの作曲家フランチェスコ・マネッリの作曲。

音楽の内容についての記録は少ないが、機械仕掛けの舞台装置による一大スペクタクルは大きな評判となったのです。

この作品は舞台描写の入った台本が宣伝用に印刷され、数年続けて上演されました。

ヴェネツィアはまた印刷事業も巧みな都市です。

公演は新しいメディアに乗ってヨーロッパ中に広まって行きます。

さらに、この数年はヴェネツィアのオペラ劇場の建設期。

オペラ公演は画期的な新事業となり、1642年には四つの劇場が建設され7つの異なったオペラが上演されるという盛況ぶりです。

初期のヴェネツィア・オペラを支えたのはサン・マルコ寺院の歌手たちです。

後には、逆にオペラ公演のためヴェネツィアを訪れた歌手たちががサン・マルコで歌うこともあったようですが、どちらにしろ、寺院とオペラの協力関係は深く緊密、ヴェネツィア・オペラはサン・マルコ寺院に支えられていたと考えても良いようです。

モンテヴェルディもそうでしたが、後々の重要なオペラの作曲家たちも皆、サン・マルコ寺院聖歌隊に所属していました。

ヴェネツィアの貴族は他の都市では宮廷内での娯楽であったものを、入場料を支払って見物する大衆のためのオペラにと変貌させたことにより、グランドツアーでヴェネツィアを訪れた観客は、大喝采で新しいオペラを受け入れました。

ビジネスとしてのオペラにとって重要なことは、ギリシャ神話などに関心のない庶民でも楽しめるものでなければならなりません。

庶民のそしてヨーロッパ中からやって来る観光客の関心は、君主好みの神話より、歴史を生きた生の人間の物語と機械仕掛けの一大スペクタクルだったのです。

モンテヴェルディの「ウリッセの帰還」と「ポッペアーの戴冠」はそんなビジネスとしての要求から生まれています。

これらのオペラはオルフェオとは異なり、エピソードが錯綜し、官能的場面も数多く登場しています。

ウリッセでは船の難破場面がよりリアルにスペクタクルに展開され、多くの観客を沸かせてくれるのです。

ヴェネツィア・オペラはスケールが大きく単純で、激しい情念、そしてポッペアーに示されるような、個々人の持つ心の動きに反応する音楽による多様な情感表現が必要であったのです。

この時代はまだモーツァルトのように、ドラマに絡まる一連の人々を細かく書き分けることはないにしろ、モンテヴェルディは多感な人間感情をアリオーソを用い巧みに表現していきました。

1640年、ウリッセの初演の劇場は、後のオペラ劇場の原点、グリマーニ家がカルロ・フォンターナに作らせたテアトロ・サンティ・ジョヴァンニ・パオロです。

ホメロスが書く叙事詩「オデュッセウス」を題材としたこの物語。

人間の儚さや、時の流れ、人間の運命、そして愛、オペラはますます現代のものに近づいて行くようです。

全体は旋律的であり、有節形式のアリアも続く、登場人物各々の性格も音楽によって確実に書き分けられているのがこのオペラです。

1651年にはナポリでも上演され大評判となったのは「ポッペーアの載冠」です。

このオペラもまたはテアトロ・サンティ・ジョヴァンニ・パオロが初演でしたのですが、1642年から3年の間の謝肉祭シーズン、いつも大人気となって上演されたと記録されています。

その光景はヒットを続ける現代のミュージカルと全く同じ状況であったようです。

それは世界中の人が押し寄せる350年前のブロードウェーの姿なのです。

ポッペアーの題材は古代の歴史家タキトゥスの年代記です。

フランチェスコ・ブゼネルロのリブレットはローマ皇帝ネロが自分の部将であるオットーネから彼の妻ポッペーアを奪い、正妻オッタヴィアの代わりに王女に据えるという物語です。

このオペラに表現されているもの、それは、哲学者セネカの厳粛な戒めと怒り、部将オットネーの悲痛だが気高い諦め、オッターヴィアの行き所のない嘆きと悲しみ。

ネロとポッペアーの情熱的かつ肉体的な二重唱は特に有名です。

晩年のモンテヴェルディは、ますます個々人が持つ人間的な性格と感情を全て音楽的に表現することに成功していきます。

そこに果たされたものはドラマと音楽のバランスの取れた統一にあるといえるようです。

この統一はやがて、音楽的な面だけを強調するオペラの流れの中では失われて行くのですが、エウリディーチェから始まり、わずか40年。ローマの「アレッシオ聖人伝」に引き続き、人間的な性格と感情を巧みに表現する近代オペラの原理が、ここヴェネツィアで生み出されていきました。

ヴェネツィアのモンテヴェルディのオペラを引き継いだのは彼の弟子、サン・マルコの第二オルガニスト・カヴァルリです。

カヴァリルのオペラはますますスペクタクル的要素が強くなります。

そして、ヴェネツィア・オペラは商業色を強め、「音楽の神」オルフェオによる文明生活の教化というその理想は「豪華で、おびただしく金のかかる娯楽番組」へと転化していくのです。

しかし、ヴェネツィアで確立されたのこの音楽劇の原理は、その後グランドツァーによってアルプスの北へ持ち込まれ、オペラのヴェネツィア様式はヨーロッパ中に広まっていきました。

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