2010年1月5日火曜日

川喜田半泥子展


人生に余裕があるからと言ってしまえば、それまでだ。 半泥子は銀行経営者としての仕事の合間を、好きなことに、徹底的に使った。 それも全てパソコンの中のデータのような希薄なものではなく、実在するかたちをモノとしてのこした。 お金があっても、お金の使い方を知らない人が多いと聞く昨今、半泥子展は、かっては存在していた、ある種のライフスタイルを明快に示す貴重な展覧会であったと考えている。 多芸多才であるから可能であったとは考えたくはない。彼は一つ一つの時間を、想いを、出会いを、こよなく慈しみ、楽しんだ人であるからだ。初めて膨大な作品群を一望のもとに見させていただき、彼が作りえた唯一無二の世界、その成果と作品群に圧倒されました。 焼き物が中心の展覧会であることは予想していた。 偶にしか触れることのない作陶、ほとんど知識を持たないボクにとってのことだが、今回はいつになく、入念に一つ一つの作品を見る機会となっていた。面白かったのだ。作品はバラバラだ、しかし、バラバラゆえに様々な世界が見えてくる。 写しの本家もスタイルの元も知らないボクにとって、その世界から、心の赴くままの自由、好きなものへの熱い想い、がひしひしと伝わってくる。 と同時に、その中にある、ある種の秩序、あるいは言葉も強い親近感をもって伝わってくる。 カタログを読むと展示のための作品整理は厄介な仕事だったとある。 そうだろう、しかし、結果はわかり易い、楽しい展示であった。企画者の苦労があったからこそ、ボクは半泥子の世界に踏み入ることが出来たと考えている。 小展示だがもう一つ興味を惹かれたのは建築だ。 上手・下手ではない、彼の関心に。 彼は建築を良く調べている、良く見ている、好きなんだなと思わせる。 1・2階の高さに極端な違いがある西洋風木造自邸。 正確で繊細なバランス感覚を持った祖母の為の紅梅堂。 当時流行ったであろう部材の細い五十八風のきれいさびの住宅。 どの建築も好き勝手を超えた建築の面白さが表現されている。 会場を後にし、久しぶりに一丁目から京橋にかけてのギャラリーを見て歩いた。 この界隈には若いアーティストの作品が一杯ある。 しかし、そんな新鮮な作品に沢山触れてはきたが、頭の中は終止、半泥子の世界で一杯だった。 なんなんだろう、この充実感。多芸多才、好きなこと、気になることを次々と作品にする健康さ、その表現力。 しかし、その一つ一つは単なる遊びではない、強い言葉だ。 つぶやかれた言葉の一つ一つは、見るものに限りない充足感を与え、語りかけてくるのだ。 「もっと楽しく、愉快に1」。
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