2010年1月5日火曜日

アカデミア

16世紀後半、北イタリアの小都市ヴィチェンツァにヨーロッパ最初の近代劇場、テアトロ・オリンピコが建設された。フィレンツェにオペラが誕生する14、5年前のこと。
ヴィチェンツァの劇場とフィレンツェのオペラ、ルネサンスの黄昏期に誕生した音楽と建築は、どちらも当時はやりのアカデミアが生みの親、今日はこのアカデミアについて触れてみたい。
アカデミアとは貴族を中心とした知識人の集まりです。15世紀の半ば、ナポリやフィレンツェの文化人(ヒューマニスト)たちが、ギリシャ・ローマ時代の詩の文体を模倣し研究することから始まったのがアカデミア。
新しい時代の担い手である自由都市市民は、中世キリスト教社会の聖職者に代わり、正しい人間の生き方を学び得る場を必要としていた。アカデミアはそんな必要を満たす教会や修道院に代わる大学のようなものであり、ポポロ・グラッツ(大市民)と呼ばれる有力市民たちの文化サークル。そして、16世紀後半にはアカデミアは学問の研究というより、様々な考え方を討論実践する場、文化活動運営の為の都市市民の集まりとなっていく。
つまり、学ぶ場というより社会的貢献の場でもあった。豪華絢爛、趣味と娯楽の集大成、その後のヨーロッパ社会には欠くことのできないオペラと劇場だが、それを生み出すきっかけは「貴族の責務」としての音楽や建築、絵画や彫刻等、様々な作品を制作し上演しようとする文化活動、つまり、アカデミアの活動にあったと言える。

15世紀から16世紀のイタリア半島は中世キリスト教社会とは異なる新しい世界の創造に蠢いていた。文芸復興は単に、古代回帰だけを目指していたのではない。
ポスト・キリスト教時代の新しい神、新しい生き方、新しい芸術を探していたと言える。その模索の中心となったのがアカデミア。
アカデミアの流行はこの時期のイタリアがいかに新しい世界の創造に躍起となっていたかの証でもありました。と同時に、アカデミアから生み出されるおびたたしい作品群、美術そして音楽や建築、当時の作品が持つ創意と工夫は、現代の作品に見られる趣味と娯楽からはほど遠いものです。作品は個人に帰するものではなく、集団としての人間が如何に生きるべきかのメッセージとみなされていたからに他なりません。
アカデミアは神から離れた人間が人間として如何に生きるかを古代の詩編やドラマを通し模索していたと考えて良いのですが、その成果の一端がギリシャ悲劇やローマ時代のラテン喜劇の上演となって表れました。そして十六世紀後半、その上演の姿を変えたものがオペラや劇場を生み出して行ったのです。つまり、フィレンツェそしてヴィチェンツァでのオペラと劇場はこうしたルネサンス以来の主知的な理論理性が生み出したもの。従ってオペラ誕生の契機となった「オルフェオの物語=エウリディーチェ」は結婚式の催しものとはいえ、美しいメロディや華々しい音響効果以上に、詩の意味、言葉の中身をいかに的確に伝えるかが重要であったと理解されるのです。




(via YouTube by Cecilia Bartoli - Amarilli)