2010年1月28日木曜日

都市の意志、ヴィチェンツァ

アカデミアを構成するヴィチェンツァの貴族や文人たちの集まりは同時代のフェラーラやメディチの宮廷とはいささか異なる世界を模索していた。
ヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコは古代ローマあるいはルネサンスの理想都市そのもの。それも仮設ではなく常設、広間や中庭ではなく、専用劇場を作った。彼らが求めていたものは16世紀のフェラーラやメディチの宮廷が必要とした祝宴の為の余興の場ではない。
ヴィチェンツァの劇場は演技や朗読の為であることには違いないが、むしろ劇場空間全体がイメージとして都市そのものとなることが求められていた考えられる。

「建築とは世界を模倣するもの」と言ったのはローマ時代の建築家ヴィトルヴィウス、このアカデミアの人たちにとって必要であったものは、自分たちの世界が古代都市ローマであることだった。
それも絵に描いた世界ではなく、実在感ある理想都市そのものであることが求められていた。
従って小都市とは言え実在のヴィチェンツァは、壮麗なパラッツオが軒をつらね、劇場の中の立体模型とはいえ、そこには実在感のある都市が作られる必要があったのです。
しかし、同時代のローマではすでにバロックが始まろうとする、まさに世紀末。この劇場を必要としたヴィチャンツァの人々には、ルネサンスを継続すべきどんな理由があったのだろうか。

ベリーチ山脈の山麓に位置し、交通の要衝でもあるヴィチェンツァは12世紀以来の自由都市。しかし、近隣都市のパドヴァやヴェローナとは絶えず衝突を繰り返していた。
15世紀に入り、ようやっと争いも減り安定もするが、それはヴィチェンツァ自身が本来持つ自治権を捨て、ヴェネツィア共和国の保護下に置かれたからに他ならない。
風光明媚なこの都市は、皮革や織物という手工芸よりも土地そのものによる農産に依存している。
土地持ちの有力者がこの都市の支配者であったが、彼らは絶えず近隣に侵される微力で不安定な少壮貴族に過ぎない。
少壮貴族たちはてんでんばらばら、外部の諸勢力と各々かってにつながりを持つことで貴族たちは個々の地位を守っている。
ヴィチェンツァは様々な外部勢力の手先となった貴族たちによって構成されていた都市に過ぎないと言えるようだ。
自治都市であればどこでも必要とする、市民同士の連帯や困難な時の対処のための一致団結は、この都市では思いもよらぬことだった。各々がバラバラに外部勢力と手を結び、ただただ共に住む都市人間として、都市空間を共有してきたヴィチェンツァ市民、ヴェネツィアの支配下に置かれてからの彼らには共通したテーマが浮上した。
それは彼らに連帯や一致団結は必要ないにしろ、利害抜きの社交あるいは交渉により「都市」を保持し続けようとする意志です。

都市が都会化し巨大な集落となった現代都市ではすでに見ることはないが、「都市」に生きると言う意志、そして「都市」にともに住むことの存在理由、あるいは「都市」を存続させる根拠、それは「都市」の持つ「社交の場」という目的のみを保持することに他ならない。
ヴィチャンツァは『都市」のみを存続させる必要があったのです、それ故、壮麗なパラッツォが連なり、もはや黄昏期だというのに、劇場の中にまでルネサンス期のオマージュとしての「理想都市」を作る必要があったと考えなければならない。

さらにまた、16世紀後半のイタリア半島は事実上はスペインの支配下、情勢は逼迫し、どの都市もその生き残りを掛け様々に画策する。その画策とは合従連衡、その為の政略結婚そして沢山の祝宴だったわけだが、ヴェネツィアの支配下にあり、海の貴族もまた沢山住まうヴィチェンツァは他の都市とは異なる。フィレンツェを始めとして半島の大半の都市が君主国家化したのに対し、ヴェネツィアは共和国として存続しつつづける。ヴェネツィアだけは一人の貴族、君主に牛耳られることなく、複数の貴族による共和制を維持してきた。

地中海、アドリア海を席巻し、海に生きた誇り高きヴェネツィア貴族の末裔達、16世紀、彼らは伝統的な外交術を駆使し、一君主や力ある大国のあるいは法王庁の権力にも屈することなく、この時代を生き抜いていた。
生き抜く為の一つ策は、海の貴族もまた陸にも基盤を持つ必要があった。その為にヴィチェンツァを支配下に置くことが彼らには不可欠であり、ここを農業経営の拠点と位置づけ、新しい生き方の基盤となる場所と見なしていた。
パラーディオの沢山のヴィッラはその結果でもあるのだが、もともとのヴィチェンツァの市民とヴェネツィアの市民を含めこの都市を共和国としての新しい生き方を模索する場として見なされていた。
従って、彼らは100年前のブルネレスキやアルベルティ同様、ルネサンスを継続し続けなければならなかったのだ。
テアトロ・オリンピコは結果として、現存する唯一のルネサンス劇場でもあるが、何よりも建築によって新しい生き方、あるいは自分自身が生きるべく世界の在り方を示そうとした「世界劇場」であったと理解しなければならない。




(via YouTube by Vicenza)