2010年1月18日月曜日

テアトロ・オリンピコ

十六世紀の建築家パラ−ディオは北イタリアの小都市ヴィチェンツァとその周辺に沢山のヴィラとパラッツォを作った。彼が最初の住宅作家とも言われる所以です。当時、建築家として名をなす人の仕事は全て聖なる世界の宗教建築です。ルネサンスの建築家は教会を作ることで名をなしているが、パラ−ディオは貴族の為の住宅ばかりを作る。かれは最初の世俗の建築家なのです。
イタリアでは当たり前ことだが、16世紀とは言えパラ−ディオの建築の大半は現存する。それも記念館や博物館としてではなく、建設当時と同様、オフィスや生活のためのスペースとして使われている。ヴィチェンツァは彼の名が被せられた通りがメインストリート。パラ−ディオ通り、この建築家が作ったパラッツォが軒を連ねている。パラ−ディオ通りは十五分も歩けば突き抜けてしまう、ヴィチェンツァはそんな小さな都市なのです。
しかし誇り高い海の支配者ヴェネツィアとカソリックローマと一線を画した自治都市ヴィチェンツァの貴族のパラッツォが連なるこの都市の佇まい、それはキリスト教に依存しない、都市人間による秩序と自負の誇示に満ちた姿。現在ではローマのコンドッティに勝るとも劣らず有名店が店を開き、小都市とはヴィチェンツァは世界中から多くの観光客を迎え入れる魅力ある都市となっている。

街はずれの広場の一角にテアトロ・オリンピコがある。ここがあの有名な劇場。中世時代のレンガ積みの擁壁と鉄の門扉に囲まれ、外観から劇場をイメージさせるものは何もない。
半信半疑のまま路地側の壁にうがかれた小さな木戸をくぐりぬけると突然、そこはもう、16世紀の世界。
パラ−ディオ時代もここが劇場入り口だったそうで、オデオ(広間)とは名ばかりの天井の高い、小さな入り口ホール、しかし、次の部屋、そこは舞台や客席に至る為の前室だが、ここで目を凝らしてみると、天井に接する壁面の上部の四面にはすべて、グリサイユ(単彩フレスコ)が描かれていた。
驚くことに、その内の一枚は、遠路遥々日本からやって来た天正の小年使節たちが、出来上がったばかりの劇場舞台を見上げている図柄です。
ちょうどこの劇場の完成期に訪れた日本の若き少年たちはヴィチェンツァ市民にとっても大変に珍しく、歓待されたに違いない。天正の少年たちは得体の知れないこの劇場そして舞台をどんな思いで見学したのだろうか。どきどきしながら、劇場にいたる扉を開けました。

扉を開けると、左手に正円アーチで穿かれた都市の門、右手の半円形の周縁は列柱とその上の聖人像、全体は時代がかった物語の中にでも入り込んだ印象。
しかし、左手は舞台、右手が観客席、ここは劇場なのです。驚きから立ち直り、入念に見回すと舞台の上には実物大の立体模型と化した建築が本物の街並みのように連なっている。右手は観客席はサン・ピエトロと同様、列柱に取り囲まれたルネサンスの都市広場の趣。
広場は階段状の観客席が古代劇場のように半円形の形状を作って立ち上がっている。
見学者は舞台脇から階段を下り、広場の中央に導かれるが、天井を見上げると陽光が射す青空が一面に描かれている。やはりここはルネサンスの広場と言うより、ローマの古代劇場と言った方が良いのかもしれない。

中央に進むと立体模型化した都市風景はますます現実感を帯びて迫ってくる。
透視画法で遠近感が強調された舞台上の街並みは劇の為の固定背景。それはアルベルティ以来思考され、幾たびか描かれてきた理想都市の情景。
しかし、この都市の中に、俳優がじかに入り込むことは出来ない。奥に行くほど街路はせり上がり、作られた建物は極端に小さくなるからだ。
この固定背景は遠近感を強調し、客席からの視線に深い奥行き感を与える装置となっている。従って、現実に演技できる場はこの背景の前のわずか3メートルほどのスペースだけ、舞台は大きな立体化した都市風景による固定背景と小さな演技スペースという構成。

テアトロ・オリンピコではドラマが始まる前から、ドラマがすでに演じられているといって良い。既に演じられているドラマとは建築によるドラマ、ヴィチェンツァのアカデミアの人たちのメッセージ、自治都市ヴィチェンツァを神の支配ではない人間による世界だと誇示するドラマです。
空間の全体はルネッサンス都市の広場のような姿、しかし、その形態は古代のローマ劇場の形をそのまま模したもの。固定背景の舞台と列柱で取り巻かれた観客席、その全体の情景は理想都市という「虚構の世界」を写し取っている。
客席の観客は古代のローマ劇場そのものを体験する、と同時にルネサンスの理想都市の広場にも立たされてもいるのだ。
つまり、観客はドラマが始まる前からすでに、古代のローマ人という役とルネサンスの理想都市の住人という二役を同時に演じさせられているのです。

劇場全体は決して大きいものではない。しかし、空間の密度の高いこの劇場は驚くほど饒舌、テアトロ・オリンピコは残存する最古の屋内劇場。古来、劇場は野外が一般的ですが、ここは屋内、つまりこの劇場は近代劇場の原点と言われる所以でもある。
古代のギリシャやローマ劇場には屋根はない、あっても日除け用のテントだけ。しかし、この劇場には屋根がある。既に触れたが、その天井には、ここがあたかも野外劇場でもあるかのように、円形の青空の中、幾すじもの雲がたなびいている。
この手法はマンティーニャの天井画同様、ルネサンスの成果でもあるのだ。舞台背景画を生み出す透視画法は今度は天井画として使われた。結果、建築物の持つ重たい屋根は消えてしまう。
野外の古代劇場は劇場である以前に、天体に覆われた世界の中心、聖なる場所、祝祭空間と意味づけられていた。古代劇場を模したオリンピコもまた世界の中心であることを主張している。透視画法から生まれた、屋内ではあるが野外劇場、オリンピコは古代の祝祭空間、そしてまた、都市の聖人・英雄たちと共に生きるルネサンスの理想都市でもあるのです。

屋内であり木造で作られている為、テアトロ・オリンピコは石造の中世教会に比べ必要以上の残響が響きわたることはない。したがって、ギリシャ・ローマの野外劇場同様、この劇場は細やかなニュアンスを持った台詞を聞き分けるに程よい反響を作り出している。
テアトロ・オリンピコが近代劇場として大事な点がここにもある。中世の教会や礼拝堂では微妙な音の変化や声の意味が明瞭に聞き取ることは不可能、しかし、この劇場では詩や劇の朗唱が明瞭に聞こえる。
つまり、宗教音楽の為の教会とは全く異なる、新しい音楽のための空間が初めて建設されたと言って良い。そして、あとはオペラの誕生を待つばかり。1700年、フィレンツェのアカデミアは繊細な器械である楽器、豪華な衣装、絢爛たる装置によって統合化された祝祭は宗教に変わるオペラを生み出した。ヴィチェンツァにテアトロ・オリンピコが完成した25年後のことだ。
新時代の祝祭であるオペラ、その誕生をまるでテアトロ・オリンピコが先に立ち、待ち望んでいたかのようにおもえてならない。




(via YouTube by Andrea Palladio, Renaissance architect)