2010年12月22日水曜日

風景の世界の「絵になる都市 」

「新建築」12月号巻頭のエッセー、「絵になる都市づくり」。 建築家のみならず一度でもヨーロッパの都市を訪れた人が一様に思うこと。 それは「何故、日本の都市は絵にならないか」。 エッセーの内容はヨーロッパ歴史都市の賛美、彼らの保存活動、そして、今後の歴史的公共建築投資への期待。 相変わらずの内容だ。
「絵にならない」疑問と批判は明治以来の露伴や荷風を読むまでもなく今に引き継がれてはいる。 しかし、日本の都市は一向に絵にはなりそうもない。 デザイン力と技術力は進んだが、ボクたちの都市はますます思いと期待から外れていく。
ここで問題にしているのは視覚的都市のこと、居住環境や街づくりのことではない。 あるいはイルミネーションが一段と美しい12月の夜の東京のことではない。 都市は建築によって作られている。 その1つ1つの建築は周到にデザインされ、おのおのはみなそれぞれ「絵になる」ように作られている。 しかし、何故、都市は絵にならないか。

現代都市は貧しいのだ、建設資金は昔に比べれば問題にならないほど少額。 中世以来のヨーロッパ1000年の歴史的建築と都市に比べれば、20世紀の都市はどこも圧倒的に貧困、時間の蓄積にも耐えられない。 現代都市を一掃し、ゼロから新たに都市を建設しても、たぶん「絵にはならない」だろう、その貧しさも変わらない。
現代都市を生み出すもの、それは全て投資効率(RIO)の結果であって、かっての貴族や教会という権力者の資金による示威ではない。 建設投資はすべて市民のお金、それも投資効率の範囲内という条件付き。
現代都市を生み出すものは歴史や文化ではなく、経済でありその効率の結果に外ならない。 可能なのは膨大な資金と時間から生まれた歴史的建築の保存であつて、新たな建築から「絵になる都市」の建設は不可能だ。

現代都市の再構築はもはや「絵になる都市」という静止画に関わることではなく、可変的、動画的に関わることが課題。 その回答の1つが同じ「新建築」12月号のセントラル硝子国際建築設計競技の入賞作にあった。 (本題には関係ないが、このコンペ、面白いと思ったのは上位入賞者がいずれも中国人、韓国人であったこと。) 最優秀案は中国の秋天さんの「汚れない集合胡同」。
アイデアは既存の路地空間の外壁と床を新たな木材で覆い、半屋内のような公共の共有空間を生み出そうとするもの。 この計画案からは「絵にはならない」が新たな統一感のある生活空間が生まれることだけは確かだ。 そして何年かたち汚れたり痛んだりしたら、エーゲ海のミコノスの白壁塗りと同じように、また新たな板で張り替えれば良い。
つまり、これからの都市づくり、それは静止画のような「絵になる都市」を生み出すのではなく、動画のような「生きている都市」を継続することにほかならない。 時系列も読み、持続的投資効率の高い結果を生み出す方法が、都市を貧困から救う唯一の道であろう。

2010年12月18日土曜日

ブッファの原点「奥様女中 」

オペラブッファの原点と言われるこのオペラ、 生の舞台で一度は観てみたいと、 かねてから思っていたが、 年末の休日、昨晩が絶好のチャンスとなった。
いやぁー、面白いのなんの! 登場人物はたった3人、歌手は2人。 これ以上はない小さな舞台だが、二幕も切れなく、 ひっきりなしに客席を沸かしてくれた。
そうだろう、演出はペルゴレージの研究者でもあり、 今晩の企画の責任者ダリオ・ポニッスィ。 かれは前半の舞台でペルゴレージ役を演じるばかりか、 「奥様女中」では召使いヴェスポーネという黙役も演じてくれた芸達者。
小間使いのセルピーナは高橋薫子、 藤原歌劇団のこの役ピッタンコの名歌手。 その歌声は軽やかでやさしい、ユーモアがありコケティッシュ、 モーツアルトやロッシーニのブッファには欠かせぬ逸材だろう。
ウベルト役は立花敏弘。 彼もまたブッファは得意そう、 その伸びのあるバリトンは客席の隅々に朗々と響きわたる。 幕間劇という切っ掛けはともかく、 300年近くも傑作と言われ続けたこのオペラ。 初めて観てその面白さを堪能した。

お話はたわいない。 ウルベルトのお屋敷で生まれた小間使いセルピーナ、 召使いヴェスポーネの力を借り、 まんまとウルベルトの奥様の座を射止めるという物語。
「奥様女中」はオペラのインテルメッゾ(幕間劇)として上演されたのが最初だそうだ。 その本体は1733年にナポリで発表された「誇り高き囚人」。
そう解説を読むとなるほどとも思う。 いまでは全く上演されることのないオペラセリア「誇り高き囚人」だが、 その題名から類推するに、 まさにこの幕間劇のウルベルトこそ、 幕が降りた後の「誇り高き囚人」といえるかもしれない。
これも解説だが、ナポリで名をあげやジョバンニ・バッティスタ・ペルゴレージ、 彼はなんと26歳の若さで結核で死んだと言う。
この生誕記念300年公演を観るかぎり、 モーツアルト以前、 こんな面白いブッファの作曲家がいたんだと改めて知り、 音楽もまた確実に音楽の上に作られていると実感した。

2010年12月5日日曜日

当麻寺の二つの三重塔


大和の西、二上山の麓の当麻寺は西ノ京の薬師寺に似て東西二つの三重塔を持つ古寺だった。

2010年11月17日水曜日

スティーブン・ホールの建築


スティーブン・ホール、ギャラリーT Space 。 
昔からこの建築家は好き。 
ミニマルだがプアーではない。 
寡黙だが豊穣(さまざまな意味の世界に関わっている)でもある。

2010年11月14日日曜日

小都市の魅力「イル・カンピエッロ 」


舞台と演奏者は変わるが、連続して同じ出しものを鑑賞することは珍しい。 先週の東京室内劇場コンサートはたまたま二つのラ・ボエームを聴くというプログラムだった。  
どうやらボクのOpera趣味もかなりマニアックか? 誘われ時間があれば何でも聴くというのがボクの音楽スタイル、自主的な選択ではないからまだマニアックとは言えないとおもうが。 まぁ、そんな事はどうでもいい、共に研修中の若い歌手たちによるイル・カンピェッロ、どちらも充分に愉しませてくれた。 

 ポピュラーでは無いがこのOpera、ボクの好みであることは間違いない。 際立ったアリアも無ければ、主役もないイル・カンピェッロ、研修生公演の所以もこの辺りだろうが、結果として、時系列としてのドラマではなく、絵を観るように静止画のような音楽を楽しむというOpera鑑賞法にはピッタリな演目だ。 あそこがいい、あの人がいいに拘ってしまいがちなOperaの鑑賞、拘れば拘るほどある種の不満を引きずってしまう。 壮大な構築物であるOperaでは全てに完璧である事は目標ではあろうが不可能だ。 無責任かもしれないが、スカラ座もメトも奏楽堂もジーリオも変わりはしない。 違いがあるとすれば、時系列に表現されるシーンの出来と舞台構成、むしろどんな壮大なOpera でも、全体が一つの音楽的世界になっていないとしたらそれこそ興ざめだ。  

今日の演目のポイントは見終わった後の印象を一幅の絵画のように表現する事、そんな目的と成果が充分に果たされていたことが愉しかった理由だろう。 もっとも、今日のOperaとスカラ座を同じ平面で比較し、語る事はもとより無理な話だ。  
しかし、Operaの楽しみは時系列以上に一幅の静止画にあるという観点に立ち返れば、イタリアの小都市で繰り返し演奏されるOpera、その演目がボクたちにとってポピュラーであろうがなかろうが、いつでもどこでも楽しまれているという、本場のOpera事情は容易に理解できる事かもしれない。 

 残りはちょっとだけ感想を記しておこう。 あえて意味のない時系列で今回の二つのイル・カンピェッロを追ってみると、その出来は今日の方が優れていた。 決して奏楽堂が不満足だったわけではなく、今日の歌手と舞台の出来は先月より一段上だったということだろう。

2010年11月4日木曜日

ウフィッツ美術館・自画像コレクション展


ウフィッツ美術館・自画像コレクション展(損保ジャパン東郷青児美術館14日まで)を観る。何年か前、東京芸大の卒業制作が自画像であり、明治以来の四年生の自画像4800枚をNHKが取材し特集番組として放送したことがあった。 絵画制作はもっともラディカルな表現行為だ。 その表現のためのテーマが「自己」だとは、なんと厳しい卒業制作かと驚いた,、 さらにまた、あまりにも明解、直裁なテーマ、全てが己、現実・想像、過去・未来。 表現者として立つことは、かくも過酷なことかと放送を見て感じた。 自画像は文字通り自分自身を描くこと。 自分を見つめ、自分を読み、自己の技術で、自分を描く。 そんな状況に立ち会ったことの無いボク自身、技術のなさは当然としても、 自分なら、自己をどう捉え、どう描き出したいか、しばらく考えてしまった。 「自分は何者なのか」を自分自身で答え、自分自身で表現しなければならない。 ボクには不可能だ。 フィレンツェの「ヴァザーリーの回廊」に展示されている多大なコレクションから選ばれた60点。 その1つ1つ作品は当然だが、一連の展示方法もまた興味深い内容。 全体は17世紀初頭から現代まで5室に分類されていて、群としての通時的な絵画史が読み取れる。 一方、1つの室に留まれば、そこは共時の中の様々な画家の姿。 表現の方法は異なるが、見えてくるのは彼らの生き方。 表現である以上、そこにはあるのは引用と韜晦、目一杯の修辞の結果が小さな額縁の中のキャンバスに閉じ込められている。 面白いと思ったのは19世紀、この時代は芸術は神、その所以は音楽だと思っていたが、それは間違い、かくも画家達が大事にされた時代だったのかと感心した。 見落としていけないのはティントレッタ・ベルニーニ・ハウフラーケン・アングル・ルッソロ・キリコ・タピエス・草間弥生、すべてボクが事前に知識を持つ有名画家たちばかりだが、展示された自画像からは全く予期しない彼らの言葉が聞こえてきた。

2010年10月9日土曜日

小さなイタリア広場「イル・カンピエッロ」


高校時代の文化祭、 柔道の朝練の仲間たち、 こぞって女装し、パレードした。 あのときの友人たちの顔、テレとはしゃぎ、 とてつもなく楽しく、気持ちよかったのを思い出した。 
卒業して初めてのヴェネツィア見学。 サンタ・ルチア駅の近くの安宿のおばさん。 女性なのに、ひげが生えていたのを思い出した。
初めてのオペラ、「イル・カンピエッロ」の観ながらのこんな思い出と感想は不謹慎。 お許しを、しかし、とても楽しいオペラ、その舞台と衣装、音楽も優雅でなめらか。

 「イル・カンピエッロ」は小さな広場を意味する、それも下町ヴェネツィア。 ミュンヘンで学んだようだが、ヴェネツィア生まれのフェラーリのオペラ。 ゴルドニーの戯曲が原型というが、19世紀特有のヴェリズモ・オペラ。  
小さな広場を囲む住民達の日常、そこにあるのは、ねたみと嫉妬、恋に喧嘩。 かわいい3人のソプラノに、ひげの生えた3人のおばさんテノール。 その親しみのあるドタバタが全てアンサンブル、そして音楽だ。 

イタリアに限らず、世界中の下町どこにでもある小さな風景。 いや、もう無いかもしれない、広場や井戸端という楽しみ。 高校時代の友人たちの顔顔顔を思い出し、金のなかった卒業旅行のヴェネツィアがよみがえる。 こんな、オペラはじめて観た、しかし、これが本当のイタリア・オペラかもしれない。
 小さな街の小さな劇場、歌われる音楽は一級のアリアというよりアンサンブル。 大言壮語の物語ではないが、全ての人間が絡まる恋と喧嘩と涙のオペラ。

2010年9月29日水曜日

パドヴァ紹介のイベント


昨晩(28日)のイタリア文化会館はパドヴァだった。 都市の紹介とコンサート、会場は満員。 イタリア大使も参加してのイベントの盛況は、 現在のイタリア人気そのものを象徴している。 イベントはスライドレクチャーから始まった。 イタリア人女性スタッフが懸命に説明する。 ブレンタ川と運河による水の都市パドヴァ。 15世紀以降はヴェネツィアの支配下に入るが、 古代ローマ以来の自治都市パドヴァは13・14世紀、多くの成果を生み出した。 ジォットのフレスコ画で有名なスクロヴェーニ礼拝堂。 ここはパドヴァの高利貸しスクロヴェーニ家の個人的な教会だが、 フィレンツェ以前、間違いなく中世から近世への橋渡しした名画の宝庫であることは有名です。 次の紹介はドナッテルロやガリレオのパドヴァ大学(イル・ボ)。 発祥はどうやら牛(イル・ボ)をアイコンにしたホテルらしい、 しかし、なんと言っても13世紀に誕生したウルベニスタ(自由)。 近代の学問はホテルからスタートした自由な思考であったことが面白い。 説明はまだまだ続く。 エレミターニ教会(1276年) パラッツォ.ラジョナーレ(1218年) イタリア最初の時計台 扉がなく誰でも自由参加のカフェ・ペドロッキ(1826年) サン・アントニオ大聖堂に植物園、そしてプラート・デッラ・ヴァッレ(広場) この日ボクの最大の関心はコルナーロのロジアと奏楽堂(16世紀)。 何年か前、訪れたこの都市だが、この建築だけは見ることが出来なかった。 この日、修復なったこの建築を舞台上の大画面スライドで初めて魅せていただいた。 ロジアには様々な物語があるが、昨晩は建築のための集まりではない。 このブログでも、今は残念、付け加えるものはなにもない。 ただ一つ、パッラーディオのヴィラも同じだろうが、 16世紀の農業社会と視覚分野のグロテスコとの関係。 パドヴァもまたヴェネツィアの陸の支配拠点であったはず。 いろいろ面白いテーマを抱えているに違いないとだけ、書いておこう。 後半はパドヴァに拠点を置く、日本人音楽家親子によるピアノトリオ。 演目は全てイタリア人作曲家。 ヴィヴァルディ、タルティーニ、ペンテ、c. ポリーニ(マウリッツォではない)にパガニーニ。 面白かったのはパガニーニのディヴェロプメント、「パドヴァの魅力」 なんと、今晩が日本初演だそうだ。 パドヴァ・トリオの主宰者佐々木一樹氏が最近発見された譜面だそうだ。 パドヴァではすでに出版されたらしいが、 コンサートで発表されるのは今晩が最初と言うこと。 曲想は柔らかくイタリア特有のメランコリーに支えられた美しいメロディーの連続。 僅か2楽章の小曲だが、ピアノとチェロとヴァイオリン、その対話劇は絶妙だ。 日本人とは言え、さすがこのトリオ、その遊び心はイタリア育ち。 アンコールはピアノトリオによるヴィヴァルディの四季から「夏」。 あの小刻みな弦の震えによる夏の印象、客席は気持ちのよい夏の終わりを実感した。

2010年9月22日水曜日

バルバラ・カポキン国際建築ビエンナーレ


21日の九段のイタリア文化会館は「バルバラ・カポキン国際建築ビエンナーレ」日本巡回展記念シンポジウム「地方から発信する建築」。 久しぶり、建築をテーマとした楽しいシンポジウム。 
イタリアのパドヴァを拠点とする国際建築ビエンナーレは2003年の「バルバラ・カポキン賞」からスタート、2007年からは建築賞、展示会、各種イベントがパラッツォ・デッラ・ラジオナーレを拠点として隔年で開かれている。 

当日の主宰者の説明では、過去430点の建築賞応募があり、日本からは66件もの応募、イタリアに次いで第二位の出品だそうだ。 
評価成績も素晴らしく、日本の建築家が4回の建築賞のうちグランプリを2回、他に住宅部門賞、商業建築賞を受賞している。 
当日のシンポジウムはその受賞者4名と賞の審査員の一人、隈研吾氏によるもの。
 
スライド説明の受賞作はみな、東京ではなく、地域で活躍する建築家の作品、住宅を中心とした小規模建築ばかり。 
そして、受賞された皆さん共通して、「賞をいただき、このことが自分自身の建築活動の’自信につながった」とおっしゃられたのが印象的。

 受賞作は大規模でもなければ、グローバルな提案ではない、しかし、どの作品も建築の原点である「建築の建つ場所」を懸命に読み取っての新鮮な提案。 
一極集中のグローバル東京にいるボクが最近忘れていた何かを、このシンポは確実に思い出させる貴重な内容だった。 

さらに、面白かったのは、隈氏の話。 日本の幕藩体制から明治維新を龍馬等人間像を透して読み取ることがよくあるが、同時代の地域像、その歴史と文化をよくよく眺めると、各々の地域が個々別々に独特の興味深い内容を持っていた。
この地域のかたちの違いはイタリア半島も全く同じ、という指摘。 
そして彼はシンポの終わりに全員に「今後、建築はどう変わるか」と問うた。
 
こんな難しい質問に対し、受賞者は短時間ながら真摯に答えた。 
話を要約すれば、環境やサステーナブルは当然だが、むしろ、グローバル・スタンダードでは届かない部分、それは決して反語としてのローカリズムと言うことではないのだが、どんなに小さい、弱い建築でも、その建築に秘められた「哲学」が問題となる。 
ボクも全く同感だ。

2010年8月27日金曜日

テオ・アンゲロプロス


ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスの4作品がBS2で連続放送された。 23日 シテール島への船出 24日 霧の中の風景 25日 永遠と一日 26日 エレニの旅 毎夜半、12時過ぎからの放送。 睡魔との戦いと思っていたが、何のことはない、物語と映像に魅せられた4ヶ日間は大満足な夏の夜の楽しみだった。 すでに、見ていた作品は最後の「エレニの旅」のみ。 しかし、どの作品も間違いなくアンゲロプロス。 全て、現代ギリシャを背景とした彼の初期の名作「旅芸人の記録」を引き継ぐ、音と映像の神話的叙事詩と言えるだろう。
今回の4作品もまた、飽きさせず、奇をてらうこともなく、じっくりと現代の悲劇を歌い続けた。 その背景は圧倒的な音と映像の魅力にある。 ただただ美しいとしか言いようのない、言葉にすることが出来ない映像世界。 そして、それを支える音と音楽の確かさ。 音はスタジオ取りでは、映像にはめ込むと嘘になり、映画にならない。 現場の、映像化された空間で発せられる雨音、水音、風音、靴音、クルマの音、汽車と汽船の霧笛、ドアが開き閉じる音、ホールに反響するアコーディオンやギター、そして歌声と会話、罵声やすすり泣き、絶望の絶叫が映像と協和し映画を生み出す。
4作品から敢えて1作をセレクトするなら、今回は「霧の中の風景」を挙げておこう。 まだ幼い姉と弟の旅。 大人たちは、居るはずもないと子供たちに語り、やめさせようと呻吟するが、 二人は頑に、父を求め、父を捜しにドイツを目指す。 心もとない、拠り所のない、生きる術が何処にも見つからない二人の旅。 その旅は「霧の中の一本の立ち木」を終着点とし、映画は終わる。 しかし、まだ、なにも終わっていない。 食べるものも、頼るものも、すがるものも、泣くところもない二人の旅はまだ続いているのだ。 ボクの心の中では。 それが、人生! と言ってしまうのは、あまりにも悲しいが。 5年前、「エレニの旅」を劇場で観たときの感想ブログは以下です。 http://leporello.exblog.jp/13857242/

2010年8月24日火曜日

「ホフマン物語」のニクラウス

19世紀のワーグナー、ヴェルディのオペラに匹敵する作品と言われる、 オッフエンバックの「ホフマン物語」を観た。 メト・ライブビューイング、東劇。
名作とは言え、このオペラを全曲聴くチャンスは少ない。 喜歌劇で人気集めたオッフェンバックだが、今一、われわれには馴染みがないからだ。会場はいつものポピュラーなオペラに比べ空席がめだった。

3時間半に及ぶ「ホフマン物語」は、 自動人形、歌うことを止められたソプラノ歌手、高級娼婦という3人の女性に恋をする詩人の話。 舟歌でも知られるように、その全体は華々しく、かつ幻想的だが、 内容は19世紀の切実な芸術の問題がテーマとなっている。

プロローグと終幕、その間に3つの挿話が挟まれている額縁構成のオペラ、「ばらの騎士」に似ている。
情景も内容も多彩で複雑。 変化に富む場面と沢山の歌手たちによるアリアに重唱に合唱、 どの場面を切り取っても、魅力一杯の音楽と舞台に驚かされる。
しかし、全曲を通しての一貫した筋書きは恐ろしく単純。詩人ホフマンただ一人の心象世界が三時間に渡って描かれる。

複雑であり、単純な構成のオペラの中、ニクラウスはミューズとして全幕ホフマンに付き添い、悪魔の リンドルフはコッペリウスとミラクルとダンベルトットと役を変え、ホフマンの恋人を次々と消していく。幕が変わると同じ歌手が別人を演じるが、幻想的には同じ役柄を演じると言う複雑さ。 力量ある歌手でなければ、 多彩に演技し歌い分けることは至難と言えるオペラだ。

ニューヨーク・メトロポリタン劇場、世界中の名歌手を集めての公演だからこそ、 可能であったと考えられるのが今日のオペラ。 この鑑賞がよい切っ掛けとなり、 改めて「ホフマン」は他の公演と比べ聴いてみたいと思っている。
その理由はなんと言っても先に書いたこのオペラのテーマへの関心。 構成と内容、それは19世紀における「芸術とは何か」という事柄に触れている。

オッフェンバックは軽快なオペレッタだけの作曲家ではなかった。 17世紀のモンテヴェルディがオルフェオに音楽家である自身のテーマを託したように、 19世紀のオフェンバックは市民社会の芸術家とは何か、 自分自身は何者なのかを、このオペラで語ろうとしている。

ミューズが終始ホフマンに付き添うニクラウスであることから、彼はいつも芸術と共にあることが示される。恋の遍歴は芸術探しを意味している。そしてポイントは、 遍歴は全てホフマンが振られた3人の女性に象徴されるところだ。3人は実はたった1人の女性ステッラであり、ホフマン(詩人)を捨てた彼女(芸術)はリンドルフ(社会)と共に去り、幕が降りる。

17世紀のオルフェオも19世紀のホフマンも共にミューズから始まるところが面白い。
ミューズは詩歌の神、音楽の神、芸術の導き手。このオペラではホフマンは終始ミューズ(女装)であるニクラウス(男装)と共にあるところは見逃せない。
オルフェオのミューズは「音楽」であり「希望」に代わるが、ホフマンのミューズは「芸術」であり新しい「社会」を意味している。
終幕でニクラウス(詩神)はリンドルフ(社会)と共にホフマン(詩人)からステッラ(美)を奪った。全ての恋(芸術)を失ったホフマンはただ一人机に向かうのみとなる。

2010年8月18日水曜日

有元利夫展「天空の音楽」


音楽は音を聴くことだけが楽しみではない。 
絵画もまたタブローの上の色や形を眺めるだけが喜びではない。 
有元利夫はそんな当り前のことを教えてくれる、魅力ある大好きな画家だ。 
白金の庭園美術館、長時間、彼の作品を楽しんだ。 
こんなに恋しいのに、こんなに夢中なのに。 
しかし、絵は今回もまた、一言も、何も答えてはくれなかった。 b0055976_15383033.jpg

学生時代、ピエロ・デラ・フランチェスカに触れたのがこの画家の始まりだ。 
以来、その画風は一貫してルネサンス風、いや、中世的。 柔らかみのある色調の中の静かな安定した造形。 
どの作品もパースベクティブがない空間にたった一人の演者というテアトロン。 
「天空の音楽」と名付けられた美術展は確かに、聴こえない音も響き続けていたような気がする。 
絵のそばに置かれた小さな説明バネルの一つにこんな言葉が書かれていた。 
「僕が舞台を描くのは、 そこが演技をする空間だから、嘘をつく空間だからと言っていいかもしれません。 いっぱい嘘をついて いっぱい演技をして 様式を抽出すれば より真実に近づき 本当のリアリティが 出せると思うのです。」
 有元利夫は25年前 38歳の若さで亡くなった。

2010年8月12日木曜日

建築を探す旅=odyssey

20世紀の建築はモラリティが強くて面白くない。しかし、その反動だろうか、最近の雑誌を飾る建築は意味不明で形がゆがみ、不安定で不快ですらある。
ギリシャ以来、建築は集団に属するもの、そこで優先されるのは、合理であって個人的な趣味や経験ではない。
合理は「すべての事柄は理論理性で説明できる」という集団的意志に支えられている。
現在の合理はプラグマティックで経済的、あるいは個人的ご都合主義、言い訳に過ぎないこともある。
建築形象は本来は誰にでも理解出来るカタチ、しかし、現実はジャゴーン、集団的理解にはほど遠いものとなってしまった。

古来より建築を生み出すものは人間の言葉。言葉は集団の中にあって、人間と人間、人間と世界との関係づくりに関わっている。現在の建築形象は場当たり的な個人(稟議・政治・経済)に関わる散文であり、集団的な詩文とはほど遠い。
建築が発する言葉は約束ごとを持ちレトリカル(説明が必要)、と同時に、誰にでも理解でき、美しく感じられるものであったはず。そして、そこには詩行としての方法があった。

現在のイタリアデザイン、スカルパやロッシの建築にはその伝統が残されている。
集団的な詩文詩行といっても、確かに今や容易に理解され、感心が持たれるものではない。
しかし、建築が建築のうえにある限り、オブセッションするカタチに関わる詩文詩行があるはずだ。

ソネットやカンツォネッタの詩行詩形はかっての音楽の形式、しかし、現在もなお生きている。
現代建築にはどんな形式があり、その形式はどのように変容しているのか。
我々はそこにどんな世界、どんな関係、どんな意味を読もうとしているのか。
odysseyは個人的な感情や嗜好を超え、モラリティに関わらない、たとえオブセッションだけであっても物語のある建築を探そうとする旅なのだ。

 

2010年8月1日日曜日

透視画法とバロック・オペラ

絵画は詩や音楽同様シンボルによる構築物です。

描かれている世界はいかに写実的であっても、それは実在の類似物、絵画空間はそこに指し示されたシンボルによって構築されている。

写実的にみえる絵の試みはおそらくギリシャ・ローマ時代の劇の書き割りから生まれたと考えられる。

このような例はポンペイのいくつかの家の壁画(図版)に残されているが、やがてこの手法はキリスト教社会の中では全く消えてしまう。14世紀のはじめジョット(図版)を代表とするイタリアの画家によって、同世紀末期にはヤン・ファン・アイク(図版)などオランダの画家によって、驚くような写実的な絵が生み出された。

しかし彼らは後の透視画法のような奥行きのある空間を描き出す技術的手法を持ち得ていたわけではない、むしろ当時の科学者に匹敵する詳細な自然観察から、これらの写実性を生み出していったと考えられる。

私たちの目で見る世界が、距離と共に物体の大きさもだんだん小さくなることを理論づけたのはブルネレスキやアルベルティだが、透視画法は古典古代の復興という観点からも注目された。

ルネサンスにおけるローマ時代の劇場の復興。15世紀、ローマのテレンティウスやプラトゥスの再評価が人文主義者の間で起こりラテン喜劇への関心が高まる。彼らは古代劇場こそ市民の教養(フマニスタ)の証し、劇場はフマニスタ表現のための格好な場であると考えた。

公演にあたってはウィトルーウイウスの研究が進められる。
ウィトルーウイウスとはローマ時代の建築家、彼は紀元前一世紀、建築のみならず、音楽、天文学、機械、土木、都市計画の為の当時最先端の技術書を書き上げ、時のローマ皇帝アウグストゥスに捧げている。

人文主義者の関心はこの書の中の舞台背景画にあった。
ウィトルーウイウスによれば悲劇、喜劇、風刺劇の3つの背景画が存在する。

1508年、プロスペッティーヴァ(透視画法)という言葉がフェラーラでのアリオスト作「ラ・カッサーリア」の舞台装置の記述に使われている。
1518年、ウルビーノ公ロレンツォの結婚式、パラッツォ・メディチでの上演の際の背景画はウィトルーウイウスの記述の再現、有名な理想都市像(図版)が作られた。

透視画法は人文主義者のいだいた理想的な都市観を表現するのに最も適していた。
人間の五感は不完全なもの、従って世界に関する信頼に足る情報を伝えることが出来ないという、プラトン以来の哲学者の偏見から人間的視野を解放したのが透視画法と位置付ける(時間と空間誕生・青土社)ゲーザ・サモシに従えば、透視画法で描かれた理想都市こそ、ルネサンスの人間が神の支配とは乖離した、唯一生きうるに足る世界とみなしていたことが理解出来る。
透視画法の中に建築がシンボル配置された絵画空間は現在のような額縁のなかの非実在的なイリュージュナルなモノではなく、現実以上に信頼できる確固とした空間であったのだ。

ピエロ・デラ・フランチェスカ作とされるこの理想都市像はその情景から斬新で調和のとれた穏やかな佇まい、まさにルネサンスの理想がそのままシンボル化され表現された。

透視画法を使った舞台装置は建物をシンボル化して配置することで、都市をイメージさせてきたのだが、やがてその装置は絶対君主のイリュージュン操作の道具へと変容し始める。

本来は純粋に人文主義者の都市観を表現していた透視画法だが、その役割は「都市のシンボル」としての役割からリアルな効果をもたらす「視覚的技巧」へと変化するしていく。

ウィトルーウイウスは古代の円形劇場の中心点について、そこはすべての視線が集まるが、何も置かずに、空いたままにされる場所と記しているが、その場所は必然的に絶対君主の座席として与えられることになった。

つまりルネサンス期の宮廷のための古代劇場の再生はキリスト教からは自由になり、人間中心のイマージナルな空間の発見ではあったのだが、と同時に絶対君主が操作するイリュージョナルな空間の誕生でもあったのだ。

オペラはこのイリュージョナルな空間を発見することから始まる。その空間と音楽による表現性の高い、感情表現に富んだ娯楽的世界、それがオペラだ。

従ってオペラはその誕生から観客の想像力より、作り手の作品力がより大きな役割を占めるものと言える。オペラはそのイリュージュン効果を最大限に活用し、バロック音楽と結びつけたスペクタクルな音楽劇的な世界を生み出していく。

2010年7月24日土曜日

本物と偽物の峻別にもそれほど意味がなくなった時代

「偽物が本物と信じられた時代から、今日は本物も偽物に見えてしまう。 いや、本物と偽物の峻別にもそれほど意味がなくなった時代を、私たちは生きている。」 と文化欄「住まう技法」は書いている。

30年ほど前、ゴッドフリー・レッジョ監督はドキュメンタリー映画「コヤニスカッツィ」を製作した。 コヤニスカッツィはアメリア先住民の言葉で「常軌を逸し、混乱した生活、平衡を失った世界」という意味がある。
1956年に完成したアメリア・ミズーリ州セントルイスにあった巨大集合住宅は住宅計画史上最大の失敗作。 その集合住宅は1972年に爆破解体される。
ゴッドフリー・レッジョ監督は巨大集合住宅の建設から解体の経緯を映画にした。
ドキュメンタリー映画「コヤニスカッシュ」は常軌を逸した現実の建築の自爆状況の記録なのだ。

一方、2001年9月11日、同時多発テロにより、WTCは崩落する。
ニュース映像を見る限り、この崩落は劇場で見る今風のどんなSFX映画以上に現実的であり衝撃的。
偶然ではあるが、セントルイスとWTC、どちらの建築もミノル・ヤマサキの設計。
繊細な機能美を誇った近代の名作と言われている。
そして、WTCの崩落は「モダニズム建築の終焉の日」と呼ばれるようになった。
冒頭の言葉に戻って欲しい。
ボクには「われわれは住まう技法(=建築批評)を失っている」と読み取れるのだ。

他方、同じ夕刊の6面、映画欄の下の四段の広告はユンカーマン監督の「老人と海」。
この映画も「コヤニスカッツィ」同様、30年ほど前のドキュメンタリー。
与那国島に住まい、小さなサバニを大海に浮かべ、大きなカジキと格闘する老人の記録だ。
というのは簡単だが、格闘と言う映画の中のクライマックスまでは、映画を創る人々にとって、 気の遠くなるような、長い待ち時間と思考と逡巡の日々。
むしろ、この映画は「待ちこそ人生」と語っていたのかもしれない。
じじつ、後で聞いた話だが、この映画のサバニの漁師は、映画に記録された格闘のあと、 嘘のように人生を閉じられたと言う。

映画の撮影は東中野「ポレポレ座」のスタートの頃だった。
ポレポレ座は写真家本橋成一氏の発案から誕生した、かってはアクセスフリーのたまり場だ。
アフリカでの撮影旅行から帰り、その大地と動物たちの営みに触れ、彼はそこに生きる人々の言葉『ポレポレ」を仲間とともに共有しようとした。
ポレポレはスワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」を意味する。
当時の、急ぎすぎる時代風潮、なんか変だなと感じる人々が沢山集まった。
たまり場となったのは青林堂という本屋さんの三階。 そこは男女半々、20代から60代、いつも様々の分野の人々で一杯。

ドキュメンタリー映画「老人と海」のプロデューサーはシグロの山上さん。
そして、彼もポレポレ座スタート時の主要メンバー。
撮影時の苦労話はいろいろ聞かされ、陣中応援に与奈国には必ず出向く約束しながら、 遂に果たせず、今にして思うと、ちょっと残念ことをした懐かしい思い出の人。

「老人と海」はそんな様々な記憶がある懐かしい映画 、しかし今日、夕刊では突然の四段の大広告。
金もなくスポンサーもままならない当時のこと、新聞広告など考えられないことだ。
だから、びっくり、何事かとしばし、!?!?。
考えてみると、先ほどの文化欄「住まう技法」とは全く呼応している。
あの時代は批評があったのだ。
ポレポレ座ではよく議論もした、時に喧嘩にもなった。
しかし、今は批評がない、みあたらない。
本物と偽物の峻別にも意味がない。
だから、いま上映されることには大きな意味がある。
この映画には四段の大広告で宣伝し、多くの人に観てもらいたい、ここには峻別があるからだ。

2010年7月15日木曜日

二期会の「ファウストの刧罰」

久しぶり、二期会オペラに行く。ベルリオーズの「ファウストの刧罰」。 ゲーテのファウストではあるが、誰でもが知るこの物語を、 ベルリオーズはかなり抽象化してオペラにしている。 
メトの体験では、主役はむしろメフィストペレスにあり、 その全体は交響曲「幻想」のオペラ化という印象を持っていた。 http://leporello.exblog.jp/12083661 

しかし、二期会の「刧罰」は全く違うものだった。 当然だろう、演出は様々、それが舞台を観る我々の楽しみだ。 今日の二期会は華やかだ。 まるで「宝塚」。 
抽象化されているオペラだが、全体はものすごく具体的。 地を這い、空中を舞うニンフたちが随所に登場するが、 その役割りはメフィストペレスの魔法により生み出される、 ファウストの想像的世界の創造にある。 
しかし、終始登場するダンスの動きは、 舞台を一層華やかなものに変えてはいるが、 全体は恐ろしく直接的、具体的なものとして表現されていた。 まぁ、これはオペラなの、あるいはバレー? と思う人もいるのではないか。

 ボクは不満足。 背景であるはずのダンス、その出来はともかく、 オペラ全体の流れのなかでは、余りにも頻繁すぎて、 歌手の歌を聴く楽しみ阻害している。 
さらに、そのダンスそのものが表現していることだが、 振り付けはあまりにも単調、 全場面を通じて、その動きにメリハリがなく、 え、またなのと、 終盤に近づくほど嫌悪感さえ持ってしまった。

 とは言え、やはり「ファウストの刧罰」はオペラだ。 音楽が終始全体をリードして行く。 ベルリーオーズはグノー以上に音楽としては具体的な表現を取っているので、 その流れはわかり易く戸惑うことはない。
 ファウストやマルグリートの歌声はオーケストラとのバランスもよく、 のんびり、ゆったり、楽しく聴かせていただいた。 
不満を付け加えると、メフィストペレスは今イチだ。
 メトのフアウスは、メフィストペレスに魅せられていた。 しかし、今日は、その彼が一体、何処にいたのか、 3階の観客席から舞台を見る限り、 演技・音楽からその存在を見いだすことが出来ず、赤い衣装だけを探す始末。 katohiroyuki/iPhone

2010年7月14日水曜日

ナポリ、カポディモンテ美術館展 

ダヴィンチやラファエロ、ミケランジェロという優れた画家たちの登場で、 どんな複雑な題材に遭遇しても、いつも調和があり、目を惹く、 絵画を生み出すことがあたりまえとなった16世紀前半。 次に登場する画家たちは、さらにどんな工夫をこらしたのであろうか。
彼らは、もはや単純な調和ではなく、不自然でわかりにくい絵画であっても、 まずは多くの目を唸らせることに腐心したであろうことは充分に理解出来る。
さらに、絵の中にいろんな意志や特別な知識を潜ませることは、 中世以来のヨーロッパ絵画の常道だが、絵画を解釈するにあたって、 より高度の知識がなければ理解出来ないような作品を描くようになったということも、 また理解出来ることだ。
貴族が楽しんだ、16世紀絵画、いわゆるマニエリスム期絵画は、 もはやルネサンス絵画とは異なり、奇想と新趣向に富み、 高度な知的関心を持って鑑賞しなければ理解できないもの、と言える。

時代が進み16世紀末から17世紀以降の絵画作品。
それはカラヴァッジョたちが活躍したバロック時代のこと。
この時代のイタリアの画家たちが最も腐心したこと。
それはパレストリーナの音楽に明解に示されていることだが、 対抗宗教改革の目的に有効に機能する作品であることではなかったか。
知性豊かな貴族のためだけの作品ではなく、多くのローマの大衆にとって、 あるいはローマ以外の沢山のキリスト教信者にとって、新興プロテスタントとは異なる、 バチカンを中心としたカソリックの教えが、 直接的に、感覚的に充分に理解出来る作品であることが求められた。
そこでの作品を生み出す画家たちの格闘、 それは描き出したい伝説的な神話や物語の場面について、 もはや奇抜さを競うことでもなければ、 従来の見慣れた形式化された場面でもない。
画家たちの心に描かれる明確なビジョンを、 よりドラマチック場面として的確に表現することが求められていた。
バロックとは最初の近代画家たちの格闘の時代でもあった。
ルネサンス以降、多くの有名画家が沢山の作品を生み出したイタリアにあって、 このマニエリスムとバロックという二つの時代を理解することは容易ではない。

時代の異なる画家たちの取り組みの違いが少しでも見えて来ると、 今日の国立西洋美術館「カポディモンテ美術館展」はこよなく有効、 楽しい展覧会になってくる。
展示ルートの中間に素描展の一室を挟んで、マニエリスムとバロック、 作品はこの前・後半に明解に分離され展示されている。
この分離はもう一つ、この美術館の形成過程をも説明してくれる。
前半マニエリスム期の作品はローマ・ファルネーゼ宮殿でのコレクション。
後半バロック期はカラヴァッジョがやってきたナポリのカルロス3世の宮殿の作品。
会場はまだ開催間際で、平日は観客は少なく、ゆったりのんびりの鑑賞。

そして、なんと言っても前半の圧巻はこの美術館の珠玉の一品、 パルミジャニーノの「貴婦人の肖像」だった。
暗闇から、いま毅然と登場し、見るものに「無言」の言葉を発する、動き生きている屈指の美女。
彼女が貴婦人なのかコルテジア(高級娼婦)か、 美術史専門家間でも意見が割れているとの説明。
ボクにとっては、同時代を書いた多くの物語の中のコルテジアを全て想像させる、 まさに鋭く、強く、知的で気品ある女性の生の存在が実感される。
そこにある同時代に誘い込まれるような、強烈で誘惑的イメージが溜まらなく快楽なのだ。
後半の作品はカラヴァッジョではない、彼に影響を受けた画家たちの作品。

幾つか興味ある作品に触れたが、ひとつだけ挙げるならば、「ユディットとホロフエルネス」。
画家であるアルテミジアはカラヴァッジョやバロックの物語には、 必ず登場する、当時には珍しい女性画家。
その彼女の苦しみと環境をイメージするに、よくぞ描いたこの「ユディット」をと、 おもわず拍手喝采したくなる迫力とリアリティに、しばし留まらせ釘付けにされていた。
そして、面白かったのはヴァザーリとグレコ。
前者はやはり画家としてはこよなくへた糞。
後者は若き日の習作の小品。
しかし、グレコはこの淡彩な一作ですでに後の全作品にある天才ぶりを充分に発揮していた。

2010年6月19日土曜日

ロシア構成主義のまなざし

形あるものから形が失われて行く時代にあって懸命に形を求めるロトチェンコの構成主義はある種の痛々しさを感じてしまう。
展示作品を眺めていて気がついた、建築も絵画も音楽に成りたがっていると。
「建築」と書かれたコーナーに9点ほどのタブローがあり、そこにあるのは空間ではない、運動と時間だ。
形のない現代、二次元の画面に形を生み出そうとするなら、表現されるものは時間、つまり音楽なのだ。
様々な戯れ言を語らせる展覧会は明日が最終日。
梅雨の休み、夏の日が輝いたり曇ったりの午後。
同時代の建築、アールデコの旧朝香宮邸、庭園美術館。
昨日、ロトチェンコ展を観ながら気になったことをつけたそう。
感想は昨日書いた通り、何か痛々しいものを感じたこと。
それはもちろん、作品そのものがではなく、自分自身が、ということなのだが。
同時代の印象派絵画、決して嫌いではない。
しかし、最近何故か、ヌクヌク感じられて空々しい。

名作であろうが傑作であろうが、作品は作品である以上、全て虚構の世界なのだ。
その世界が、現在のボクの世界とどう関わるかが、展覧会に行く楽しみ。
「いまなら僕は「デザイン」という言葉に「うぬぼれ」というルビを振るでしょう。」 これは今朝、読んだある人のブログだ。 http://gitanez.seesaa.net/article/153703729.html
建築も絵画もまたデザイン、そしてある種の虚構の世界。
ロトチェンコを観ていて気づかされたのは、このブログに近いもののような気がする。
20世紀初頭、作家は「虚構を生み出す方法」を失った。
少なくとも従来の方法からは模倣はともかく、虚構は生まれない。
印象派は様々な画法を駆使する事で、新たな虚構、作家の現実との橋を作品化した。
しかし、そこにあるのは「うぬぼれ」だ。
かたちは、あるいはフォルムは、虚構と現実を橋渡しする言葉を失って久しい。
ロトチェンコのみならず、モダニストはすべてこの失った言葉の再生に関わった。
しかし・・・・。
最近、なぜ、展覧会に行く事にこだわるのか。
あるいは、しきりに「いいと思われる作品に出会いたい」と思わせるのか。
秋には京都に、春には奈良に行った。
どうやら、ボクも「うぬぼれ」に気がつき始めたようだ。
失ったのは言葉ではない、ライフスタイルのようだ。

2010年6月13日日曜日

若仲展

千葉市美術館は鞘堂と言われるユニークな建築。
昭和2年に建設された旧川崎銀行千葉市店の建物を、新しい建物が鞘のようにオーバラップし建設されている。
鞘堂方式と言われるこの建築の保存方法は、当時、建築関係者には話題となり、15・6年前のことだが、その経過を見学に行ったことがある懐かしい建築だ。
古い建物を基礎から浮かし、レールが敷かれた車輪の上に載せ移動出来る状態にする。
そして全体を100メートルほどバックさせ、空いた用地に新築部分を建築する。
やがて、大きな一階ホールが建設された後、再び古い建築を静々と前にせり出し、 新築途中のホールの中に引き入れ、ようやっと全体の工事を完成させる。
昔、日本の木造住宅の増築等ではよく使われた引き屋の工法による建設工事。
その工法を旧川崎銀行の保存のために実施するというので、かって、建築中に友人たちと2回ほど見学に行ったことがあったのだ。

しかし、完成してからは一度も見学していない。
今日「伊藤若冲展」を見学に行き、その会場がかっての引き屋建物、新しい美術館であることをはじめて知った。
珍しいことに、突然、息子が「昼飯」を食べにやってきた。
そして、彼の誘いで午後から急遽、若仲展を見に行くことになった。
千葉市美術館で「若冲展」をやっている事、また、この美術館が鞘堂である事は、昼飯までは全く知らないことだった。

つゆ空の千葉までのドライブは些か面倒でもあったのだが、 今日は息子の運転、たまには素直に誘いには応ずるもの。
結果、美術展と美術館まさに一石二鳥、何とも楽しい見学となった。
美術展は7・8階。 階層分断はこの手の美術展ではやや不便。 作品の説明板が小さくてやや読みにくい事もあり、入館当初の最も重要なことでもある、全体の展示構成を掴めないままの見学となった。

展示は若仲の師匠筋の絵師の作品も同時に集められていて、若冲とその周辺を理解させようとする画期的なもの。
一つ一つと作品を見るごとに感じられて来る若冲の世界。
彼の作品はいつも大らかだ、その作風も内容も。
絵を描かせるスポンサーたちもまた同じ。
18世紀後半と言う時代、そこは今とは異なる、何ともユーモラスでのんびりとした空気が流れていたに違いない。 いやぁ、そんなことはないだろう。 ここは若冲の世界なのだ、それも絵の中にのみ広がっている彼独特の世界。
今回の展示作品、かなりが個人蔵のもののように感じられた。
いつもの若仲のきらびやかな彩色に比べ、水墨による無彩が多く、また、小品が沢山だからだろうか。

しかし、その全体はいつものと同じ彼独特の世界、その絵は造形的であり、物語的、どこまでも自由、かつ大胆な画面構成と表現上の工夫。
そのどれもが、入念な観察と逞しい創作欲の結果である事が良く判る。
なかでも、今回、はじめて見た「樹花鳥獣図屏風」は圧巻。
綿密な独特の点描は「デジタル時代の先駆けではないか」と思ってしまう。
今日の若仲展はしばらくブームが続き、一段落した若仲をもう一度、あるいは改めて日本の絵画の大スターとして、じっくり観てもらおうと言う企画のようだ。
その意図は十分に果たされている。
やや手狭な会場だが、決してせせこましい、がやがやした雰囲気ではない。
近め遠目、自由に立ち位置を変え、じっくり作品が楽しめた。
楽しみにしていた「像と鯨図屏風」は明日からの展示でお目にかかれなかったが、これはまたこの次の楽しみと言う事だろう。

梅雨空の元だが、思いもよらぬ息子の運転での素晴らしい半日。
幸い、この展覧会は6月27日まで開かれている。
お近くの方は決して、お見逃しのないように。