2009年12月30日水曜日

「凍れる音楽」孝

ヨーロッパ中世、教会の中で一体であった音楽と建築は、15世紀イタリアでは、音楽は耳で聴くもの、建築は目で見るもの、つまり、別々の役割を持ち、神の世界の顕現に貢献するものとなっていました。しかし、明確な分離を意識することなく18世紀を迎えたアルプスの北、ドイツでは民族意識の高揚をきっかけとしてゴシック建築の見直しと礼賛が盛んとなります。ルネサンス・バロックというヨーロッパの音楽や建築の主調がまだイタリアに重心がおかれ、当時野蛮な様式と見なされていたゴシック建築を後にドイツ・ロマン派と呼ばれる人々が、この建築こそ我々の精神の崇高な体現として評価したのです。
18世紀中頃、音楽はソナタ形式の隆盛に伴い、イタリア中心のバロック・オペラによる静止画的世界から器楽的・動画的世界へ、不連続な継起的ドラマから連続的体感の世界へと変化していきます。この連続的高揚こそアルプスの北の人々を支える美学。ゴシック建築とソナタ形式の音楽は相和し、美学におけるドイツ・ロマン、後の「凍れる音楽」を体現させる装置となったです。「凍れる音楽」はイタリア・ルネサンスを凌駕するドイツ的意識の広がりを証拠だてる有効な説明言語、その筆頭はフリードリッヒ・シェリングと言われています。芸術は人間の最高の精神的所産かつ生産活動と位置づけ、彼は「彫塑における無機的芸術形式すなわち音楽は、建築である」あるいは建築を「空間における音楽 Musik in Raume」と「芸術哲学」に書いたのです。シェリングの義兄弟でもあり、友人のフリートリッヒ・シュレーゲルは「建築は凍れる音楽 gefrorene Musik なり」と語っています。やがて、「凍れる音楽」はゲーテ、ヘーゲルを始め多くの人々に愛用され、文学・音楽・美術・建築のロマン主義を象徴する言葉となって行くの周知の通りです。
ボクにとって最も興味深いのは「ドイツの建築術について」(1773年)から始まるゲーテの建築論です。この書は若きゲーテがシュトラスブルグ大聖堂について論じたもの。当時ヴィンケルマンの古代美術史によりギリシャ美術に傾倒していたはずのゲーテでしたが、彼は大学生活を通じ身近に体験したゴシックの大聖堂を賛美して止まず、この書を書き上げました。「大聖堂の眺めはなんという思いがけない感じで私を襲ったことか。これまで私の頭は良き趣味についての通念で埋まっていたのだ。聞き伝えによってマッスの調和とか、形式の純粋とかをあがめ、ゴシック的粉飾の恣意に対する断固たる敵になっていたのだ。辞典の見出し語でも説明するように、ゴシック風という語のもとに、私は不確定、無秩序、不自然、かき集め、つぎはぎ、飾り過ぎ等々、脳裏をかすめたありとあらゆる生半可な同義語を積みあげていたのだ。それは外部の世界をみな野蛮呼ばわりしている民族よりも愚かしく、自分の体系に適合せぬものをすべてゴシックと呼んでいたのだ。・・・・ところがどうだろうこの大伽藍は互いに調和している。無数の細部から成り立っているので味わいを享受することはできるが、けっして認識したり説明したりすることの出来ぬ建物だ。」ゲーテの熱い感情が手に取れるようです。彼は教室であるいは書物で得ていた古典主義をかなぐり捨て、理知を超えたシュトラスブルグの魅力にうち震えたのです。
そんな、若きゲーテですが、このようなゴシック賛美は「イタリア紀行」と相前後して急に消えてしまいます。「ドイツの建築術について」から10年あまり後、ワイマール宰相の地位にあった彼は突然、逃げるようにブレンナー峠を越え、檸檬の花咲く、パッラーディオのラ・ロトンダ(ミニョンの館)を訪れています。紀行は「我もまたアルカディアに」と裏表紙の言葉に示されるようにイタリア古典主義の経験と考察、1786年から1788年の記録が元となった有名な書です。晩年まで改訂に改訂を重ね、文学者ゲーテの原点といわれる「イタリア紀行」は仰ぎ見るゴシックを振り払った北の国の感性が初めて触れるアルカディア、ルネサンスとは異なる、古代ローマを体得した旅行記と言えましょう。(ゲーテはフィレンツェは訪れなかった)そして、この紀行からドイツに戻ったゲーテは1788年、再び「ドイツの建築術について」を書きました。それはギリシャ建築を主題とし、古典建築研究の成果示す内容です。さらに1895年には「建築術」と題する手記により、イタリアでの体現を総括し、古典主義礼賛の芸術論を上梓します。つまり、若き血が燃えるゴシック礼賛から、理知的古典主義文学者へと変貌した詩人ゲーテの誕生です。しかし、そんなゲーテは晩年、再びゴシックへとその関心は回帰するのです。人間ゲーテの大きさはその変容の中にこそ見るべきかもしれません。それは「ドイツの建築術について1823年」に記されています。「私が後にシュトラスブルグやケルン、そしてフライブルグの芸術を見失い、そのうえ、それよりも発達した芸術(古典古代の芸術)に心を惹かれて、それらをまったく捨て去ってしまったことについては、自分を責めぬわけにはゆかぬ」。ゲーテはゴシック主義と古典主義の両面に挟まれつづけ、ドイツについて、文学について、建築について、芸術について考え続けた人、だからこそ偉大なる詩人と呼べるのです。そして、生み出されたものはドイツ民族のためだけのロマン主義ではなく、全ての人間のためのロマン主義であった、と考えて良いのではないでしょうか。
ゴシックはドイツ・ロマン主義に直結しています。また「凍れる音楽」は「ドイツ・ロマン主義の常套句」と考えて良い事柄です。しかし、その後、ロマン主義はイギリスに引き継がれ、「ピクチャレスク」にまで応用されるとある種の古典主義と結びついていきます。ゲーテには「凍れる音楽」という直接的言辞はありませんが、この言葉がゲーテの言葉として広まったのは、ゲーテの生涯にわたる建築論がゴシックと古典主義の狭間に立つ、一民族ではなく世界に通低するロマン主義の表明となっていたからに違いありません。
「凍れる音楽」は感覚的に理解しやすい言説ですが、どこまでも反アカデミズムのなせる技であったことは重要です。建築という分野では、ロマン主義が主流になったことはありません、そしてまた「凍れる音楽」が建築側から語られることもほとんどなかったことです。そんな観点に立って考えてみると、20世紀に入り、多くの建築家が音楽との関係を語り始めたことは大変興味深いことです。アールヌーボ以降新しい建築を模索したのは皆、反アカデミズムの人たちです。ヨーロッパ世紀末は反アカデミズム(クリムトやオットー・ワーグナー)の活動が主因となり活動が始まっています。こんな100年前の建築状況を思い出しますと、現在もまた新たな「凍れる音楽」を論じる時代ではないかと考えてしまいます。それは機械主義・情報主義・環境主義を超克し、新たな人間のエティカ(美学)に通低する新しい建築を必要とする時代だからです。