2009年11月10日火曜日

バルベリーニ劇場のオペラ

マッフェオ・バルベリーニは裕福なフィレンツェの市民の息子でした。風采があり豊かな教養を持ち、学者であり、詩人でもあった彼は1623年、五十五歳で教皇の座につき、ウルバヌス八世を名乗ります。建築をこよなく愛したこの教皇は在任中の二十年余り、いつもジャン・ロレンツォ・ベルニーニを手元に置き、ローマの新しい都市イメージの生成を要請します。詩人でもあり音楽好きでもあったウルバヌスの周辺にはベルニーニだけではなく、音楽家たちも絶えず控え、学者や文学者も加わり活発なサロンが展開されていました。そのようなサロンの中の有力な一人がピストイヤ出身のジューリオ・ロスピリオージ。彼は同時代の最大のオペラ・リブレット作者であり、後に枢機卿から教皇にまで上り詰めたクレメンス九世です。ウルバヌス八世には三人の甥がいました。フランチェスコとアントーニオは枢機卿、まん中のタッディオはローマの旧家コロンナ家の娘と結婚し、ローマ総督となった人。バルバリーニ家出身のウルバヌスは聖俗両面を一族の力で支配し、多くの芸術家、知識人を従え、バチカンとバルベニーニ宮殿はまさに宮廷の趣であったのです。

聖アレッシオ from kthyk on Vimeo.


バルベリーニ劇場の幕開けは1632年の謝肉祭です。新婚間もないタッデオ夫婦と二人の枢機卿が住むバルベリーニ宮殿、この宮殿には三千人の収容能力を持つ劇場が設えられました。しかし、実際の観客は数百人、ここはまだ市民のための劇場ではなく、当時のローマの特権的な聴衆の為に作られた劇場であったのです。柿落としでの上演はオペラ「アレッシオ聖人伝」。作曲は例の「オルフェオの死」を作ったステーファノ・ランディ、リブレット作家はジューリオ・ロスピリオージです。二人はイエズス会セミナリオで教育を受けた間柄、「アレッシオ聖人伝」は題名からも判るとおり、イエズス会の持つ中世的宗教劇となっています。しかし、このオペラには古典的悲劇と喜劇、牧歌劇とインテルメディオ、と同時代のすべての劇スタイルが一体化されていたと言えるようです。「アレッシオ聖人伝」を有名にしている理由の一つは、史上初めて高声部が最も優位となったオペラであることにあります。主役のアレッシオはソプラノ・カストラートが演じています。他のキャストもまた、全て教皇の聖歌隊の歌手たち。ローマの貴族であるがアレッシオは世俗を退け、深く宗教に帰依する人、そんな人間であるアレッシオは、この世の人とは思えない聖人の声である必要があったのです。そのためには、男性でもなければ女性でもないカストラートの声はピッタリであったいえましょう。
内容はローマのアレッシオが世俗の楽しみを全て捨て、乞食姿となって信仰の道を探す話です。五世紀の聖人アレクシウス伝説に基づいています。1634年制作の版画(図版:西洋の音楽と社会=3p74)をみると、端正な透視画法によるローマの都会風景の中に、姿を隠したアレッシオを探す旅に旅立とうする悲痛な婚約者が歌うシーンが描かれています。この舞台背景の制作はジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。新装なったバルベリーニ宮殿の設計者が劇場はもちろん舞台背景を手がけるのは当然のことでありました。バルベリーニ劇場とその宮殿は宮廷のような世界とはいえ、ここはどこまでも教皇ローマ・カソリックのお膝元です。フィレンツェやマントヴァ宮廷のようにあからさまに異教であるアルカデイアをテーマとすることは出来ません。台本を書いたロスピリオージにとっては、オペラの持つ世俗的楽しみを、いかに正当化するかが問題でした。その為には「アレッシオ聖人伝」という道徳的な教えをもった聖人伝説は、もっとも都合のよい題材でもあったのです。