2009年11月26日木曜日

礼拝堂と祈祷所の音楽

故郷のパレストリーナの街の司教がローマ教皇に選出されたことから、若くしてシスティーナ礼拝堂の聖歌隊員に抜擢されたパレストリーナですが、教皇亡き後は当然解雇され不遇の身となります。しかし、40代後半、彼は実力でカペラ・ジュリアの楽長の座を勝ち取り、教皇庁に復帰するのです。パレストリーナの活躍によって、ジュリアやシスティーナの礼拝堂がローマ音楽の中心となっていく頃、ア・カペラが育ちます。ア・カペラとは「楽器などの演奏が無く、無伴奏」でという意味で使われる音楽用語ですが、本来は「礼拝堂風に」と訳されます。つまり、ア・カペラのカペラは礼拝堂、システィーナ礼拝堂を意味しているのです。この礼拝堂で演奏される曲は全て無伴奏で演奏されるのが習慣でした、記録によればオルガン伴奏さえなかったのです。従って、仮に外では楽器伴奏付きの曲であったとしても、ここでは一切の楽器伴奏は許されませんでした。従って、ア・カペラは礼拝堂風に、つまり楽器伴奏なしの歌曲ということになったのです。この礼拝堂の秘曲と言われるミゼレーレを、十四歳のモーツアルトが聴いた逸話が残されています。ミゼレーレは十七世紀の作曲家グレゴリオ・アレグリの作曲ですが、モーツアルトはこの曲を一度聴いただけで宿に帰り、秘曲を全て間違いなく楽譜に書き移したという神童逸話です。パレストリーナが活躍し、モーツアルトが秘曲を聴いたシスティーナ礼拝堂。しかし、現在ではバチカン美術館の中心と位置つけられ、音楽の為の空間というよりミケランジェロの美術館として有名です。毎日、ミケランジェロを一目見ようと、沢山の人々が押し寄せる現在の礼拝堂ですが、ここは様々な音楽と音楽家が活躍し、対抗宗教改革の中心となった場所、バチカンの浮沈を担う場所でもあったのです。


(via Youtube : Allegri-Miserere)

カストラートの誕生も実はこの頃のこと。礼拝堂の中では、徐々にではあるが、より強く、より幅広い音域を持つ彼らの歌声が重要な役割を占めていきます。カストラートとは声変わりを迎える少年時代に去勢し、青年になっても子ども時代の高音で歌える男性ソプラノ歌手のことです。男性であるが故にその歌声は圧倒的に力強い、そして高音です。様々な音量と音域の歌手の歌声が合唱され、音楽はますますその表現領域を広めていきました。無伴奏の歌曲と女性に頼ることのない高音の歌手の誕生は、やがて始まるオペラの時代の中心的役割を担うもの、後々はカペラで生まれたカストラートが世俗のオペラの大スターとなって行くのです。さらにまた、システィーナ礼拝堂の音楽はオラトリオ会やイエズス会の音楽とも巧みに連携していきます。オラトリオとは対抗宗教改革の機運の中、より多くの人々、一般の人々が、ラテン語ではなく日常語で、気楽に神に接することが可能な場、祈祷所を意味しています。そこでの音楽は宗教的ラウダが中心。ラウダとは中世以来、イタリアの俗語によって歌われた民衆の中の宗教歌謡です。一般家庭での祈りの際、あるいは巡礼、行列の際に歌われた民衆的な音楽のことです。民衆が中心となった祈祷所(オラトリオ)に多くの人々を集めたオラトリオ会やイエズス会は十七世紀にはいると、このラウダと礼拝堂の音楽、そしてフィレンツェのモノディを組み入れて、教会の中のオペラとも言えるオラトリオを生みだしました。さらにまた、この二つの会は音楽の教育機関となるコレッジョを運営し、やがて多くのオペラ歌手を誕生させて行きます、つまり、近代の音楽のすべてはこの時代の礼拝堂と祈祷所が担っていたと考えて良いのではないでしょうか。