2009年10月25日日曜日

ナヴォナ広場

ベルニーニの傑作「四大河の泉」を中央に配すナヴォナ広場はバロックローマの都市計画の中では特異な性格を持っています。
その特異さは広場なのに幅広い街路のような形態にあります。
ここは古代ローマ時代、紀元1世紀のドミティアヌス帝の競技場として使われたところ、その時の形がそのまま広場として残されました。
剣闘士たちにより戦車競争が行われていた場所と周辺はその後、全くの廃墟となりましたが、中世の時代には沢山の家々が建られます。
やがて競技場だけは庶民の為の広場として使われ続けられ、現在のナウ゛ォナ広場となったのです。

テヴェレ川に近く、水もあるこの当たり一帯は人が住み着くには都合が良いところです。
廃墟はすぐに多くの庶民の住宅が密集する所となり、ルネサンス期にはもう現在の様相に近い状況です。
広場は彼らにとって格好の息抜き場であり水浴びの場所。
従ってここもまたポポロ同様、水道整備が最も早く行われた所であり、1573年グレゴリウス十三世により細長い矩形の広場の南北の隅に二つの噴水が設置されました。
それはベルニーニの噴水が完成する八十年も前のことなのです。

特異な性格のもう一面、それはバロックの数ある広場の中では珍しく、主要街路とは一切の関わりを持たないばかりか、結節点としては程遠い形状となっていることにあります。
周辺は無数の狭い街路が不規則にひしめいています。
まるで、街路は張り巡らされた水路のよう、そして、広場はまさに貯水層のような形態です。
無数の狹路が連結され、幾筋かの街路となって貯水層のように広場へと流れ込む。
人の流れがそのまま水の流れに重なり、広場は貯水槽であり終着点をイメージさせます。
人々は、もはやどこにも出掛ける必要もなく、只々のんびりと滞留するところ、それがナウ゛ォナ広場の役割です。

古代ローマに起源を持ち、中世そしてルネサンスと延々と引き継がれ、現在に至るこの広場には、二千年の時間と世界中の人々が集約されます。
市が立ち、祝祭の舞台、真夏の暑い日の夕涼みの語らい、疲れた旅人が屯いまた一人憩う処。
1651年には「四大河の泉」が完成し、密集した街の中に、一際大きな水音をたてるこの広場は、庶民のそして世界中の人々のための溜まり場、サロンになったのです。
人と時間を留め置く貯水槽はまた引き延ばされた街路でもあり、さらに広場の中央に立ち周囲を眺めると、周辺の家々の窓の連なりはオペラ劇場の桟敷席の連続のように見えます。
しかも桟敷席を構成する家々は、姿、色、形が一体となり連続した一枚の壁のような連なりです。
この広場はまさに長方形の大きな舞台なのです。
古代ローマの競技場であったナヴォナ広場はベルニーニの傑作を待つまでもなく、華やかな劇場空間であったと言えるのではないでしょうか。




(via YouTube by hd4tv)